hama

aftersun/アフターサンのhamaのネタバレレビュー・内容・結末

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

娘が生まれて子を育てる立場になったにも関わらず、自分自身が全く未熟で、そんな自分であることの罪悪感に堪えられぬ人間の悲しみを全く他人事と思えず、ここ最近観た映画で1番悲しい気持ちになった。

この映画の中で描かれるカラムの姿は、子育てをする父親としては配慮に欠けると言わざるをえない。娘に死ぬほど気まずいカラオケさせた後に夜に単独行動をさせるあたりはもう言語道断で、自分の苦悩よりも娘を優先できない人としての弱さを断罪することは容易だと思う。

しかし映画の中でカラムが自身のセクシャリティ?トラウマ?に悩む姿が仄めかされたり、妻と別れて金銭的にも余裕がなくどん底の状態で、それでも娘が自分を愛してくれることに対する引け目を感じつつ、何もかもが自責に繋がっていってしまう、そんな人間を私たちが裁く残酷さが必要なのか、みたいなことを考えさせられる。

子育てに奉仕の心は不可欠であるが、その奉仕は自分自身の何かを捧げることと不可分でもあり、では捧げることのできない人間は…?みたいなことを多分カラムは考えたはずで、その答えとして「そばにいて話だけでも聞いてあげる」のが正しいはずなのに、自分には一緒にいる資格すらない、とか思ってしまったのだろう。本当に悲しい。

この映画の救いはソフィが父親に対する罪悪感を抱えながらも、それを見つめ続けていることだろうな。生き残った人間には「なぜ救えなかったのか」という問いが残りつづける。その問いに答えはない。答えがない問いを考えつづけることに意味はないが、その問いを考えている時にだけ、カラムはソフィの中に新しい姿で立ち現れると思う。ソフィ頑張って生きてくれ。
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