きゃんちょめ

aftersun/アフターサンのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
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【アフターサンについて】
『アフターサン』という映画の評価、映画を見終わった直後はめっちゃ意味不明だったんだけど、だんだんと明瞭に理解できてきて驚いた。今となってはめっちゃいい映画だったと思える。ちゃんと悲しいし、しっとりしているのに、それでいて大袈裟な感傷に浸るナルシスティックな感じがあんまりなかったなと思う。抑制の効いた映画だった。

子どもって、親が気にしてることをかなり正確に分かっちゃうときがあって、でもそういう親の苦悩に優しく言及したりはまだできないから、たまにその親が気にしている傷を余計に深くえぐるようなことを言っちゃうんだよね。そこが子どもの未熟さなんだよね。子どもの未熟さは、親の気持ちがわからないという仕方で現れるだけではなくて、親の気持ちがなんとなく分かるのに、子供にはその分かりだけしかなくて、その分かりをただ率直に伝えると、相手が壊れてしまうかもしれないという大人の脆さには無自覚であるという仕方で現れることもあると思う。

この映画を見ている私は、子どもに伝わってしまう苦悩以外にも、親になってみて初めて理解できてくる生きづらさもあるだろうし、自分がどこにいても場違いな気がするというのもわかるようになった。負うべき責任を自分なんかじゃ負いきれないと思ってしまうのもすごくわかるようになった。

そういう生きづらさを感じすぎて、限界に来てる時の人間って生死の境が曖昧になってきちゃって、別にこれといって死のうという明示的意識がないのに、気づくと死に隣接しちゃってて、柵の上に立ってみたり、真夜中に海水浴をしたりしていて、そういうとき、「自殺」というよりは「ただ夜中に海を私は泳いでる」という意識なんだけど、岸にたどり着けるかどうかは運次第で、「岸に辿り着ければ夜の海水浴ってことになるけど、岸に辿り着けなければ自死したということでいいかな」みたいな、それくらい現実感覚と自分への配慮が希薄になってきちゃうもので、そういう浮遊感がよく描かれていたとおもう。人が最も死に近づくのは、悲壮感というよりはむしろこういう浮遊感があるときなんだよなと思った。とてもリアルで、映像も美しい映画だった。見てよかったです。

最後にひとことだけ。この社会の中で生きていると、色んなシステムが高速で一挙的に現れて来て、それらに困惑する自分を嘲笑いながら、粛々とシステムのほうは稼働していて、そしてその仕組みの中で佇み、立ち尽くすだけの自分は、ある仕方でのある行動を取るようにプレッシャーをかけられる、そういう経験を誰もがすると思う。そういう経験を一度でもしたことがあるひとならば、最後に流れる曲の、この歌詞の意味は分かるのではないだろうか。

It's the terror of knowing what the world is about
これは世界というのがどういうものかを知るという恐怖。
Watching some good friends screaming 'Let me out'
仲の良い友達が「僕をここから出してくれ」と叫んでいる場面を見ながら。
Sat on a fence but it don't work
フェンスの上に座った、でも何も変わらない
And love dares you to care for
愛は君に勇気をくれる
The people on the edge of the night
夜の片隅にいる人々を気にかける勇気を
This is our last dance
これが僕たちの最後のダンス
This is ourselves under pressure
これがプレッシャーの下を生きる僕たちなんだ
きゃんちょめ

きゃんちょめ