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aftersun/アフターサンのhariのネタバレレビュー・内容・結末

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

感想がなかなかまとまらなかった…
あらすじを見て、優しい父が、実はお金を工面するために娘の動画を闇ポルノに提供してたという胸糞展開だと思い込んで見始めたのに、実際は重く苦しく切ない展開で、なんとも言えない気持ちになった。


頼れる優しい父親としての顔の狭間に、弱さと苦悩を抱えた脆く壊れそうな一人の若者の顔が見えて、胸が苦しくなった。

幼い子供にとって、大人ってそれだけでなんかすごい存在に見えたりする。万能感があるというか。頼りがいがあって正しくて、自分も大人になったら当たり前のようにそんな大人たちの仲間入りをして、苦悩したり間違ったりすることなく生きていけるようになると思い込んでいたり。そんなことないのにね。
特にその大人が親ならなおさら。自分の親は死すら超越してそうな感覚になることがあったりする。だから親が自らの意思でこの世を去ってしまうなんて想像もしていない。

でも、そういう幻想を抱いているからこそ、子供は「頼れる優しい大人に守られた世界」という幻想の中で健やかに育つことができる。何も知らないからこそ、怖がらないでいられるから、閉じこもらずに色々な人と交流したり、挑戦して世界を広げて経験を積むことができる。
そうしていくうちにその世界が幻想であることを知り、弱さもずるさも持ち合わせた、子供の延長でしかない大人になっていく。
大抵は時間を経て少しずつ幻想の世界が壊れていくのに、ソフィの場合は父親の自殺で「大人」「親」「世界」に対して抱いていた幻想を一気に打ち砕かれてしまった。ソフィが味わった衝撃は凄まじいものだったはず。本当に辛い。

でもソフィを深く傷つけたからといって父親の選択を真っ向から非難できないほどには自分も年だけは大人になってしまった。
大人の弱さを赦してほしいと思ってしまう自分がいる。それが正しい大人ではないと分かっているのに。


良き父であろうと懸命に振る舞う姿の裏で、人生に行き詰まり、死に突き進む衝動をこらえきれない父親は、父になるには心身ともに若すぎたようにも思うけれど、でも父にならなければ踏ん張る理由がないからもっと早くに死を選んでいたのかなとも思うし、けれど父でなければ「良き父」という今の自分に見合わない看板を背負う必要はなく、肩の力を抜いて生きていけたのかな、とも思う。

父の誕生日を周辺の人と祝うソフィのシーンはしんどかったな。父は居た堪れない気持ちだったと思う。自分はあんなふうに人に祝われたり讃えられたりするような人間じゃないのに、ソフィは無邪気に父を慕い、周りも父を慕ってくれると思って疑わない。
あの無邪気さは彼女の幻想を、父含めた大人たちが守ってきた結果ではあるのだけど、あれは父にはキツイだろうな…

印象的なシーンは、父が護身術を仕込もうとするところ。父は護身術が必要な理由を知っているから真剣に教えようとするのに、ソフィはそれの大切さを知らないから遊びとして受け止め、真剣に学ぼうとしない。彼女が子供の世界で生きている証左であり、父と娘の、世界に対する認識の相違を浮き彫りにした場面だったと思う。
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