魁人

突然にの魁人のレビュー・感想・評価

突然に(2022年製作の映画)
4.6
まず手法について。
視覚以外の要素に焦点を当てる時に、どうやったら視覚の手段に頼らずにそれが実現できるかと考えていたけど、この映画において、社交ダンスで男性の首に顔を寄せて、鼻にカメラが行けばそれは自分の身体の中になにか嗅いだ時のような感覚が走ったし、貝を掴んだ時は、木を触った時は、その手にカメラが行けば、己の手に何物かを感じることができた。
このようにして、視覚以外のものを、視覚を通じて表現することができていたし、視覚を使うことはあくまで手段であって、結果観ている人の鼻の奥や手のむちむちの裏側に存在を感じさせることができていればそれは素晴らしいことだと解釈することができた。視覚を手段として使うのは単にクレバーなのかもしれない

全感覚がはっきりと等しく揺さぶられる、そしてそれがただのランダムな感覚ではなく感覚が連なって一つの物語を作るような、そういう意味で言うと身体のあらゆる場所が関わり合って体感できるような、今書いてて感じてるけどとても文章化のしづらい深さ、可能性、幅を持っていた
自分がよく鑑賞する映画は出来事、なにか映像が連なって、または印象に残ったところがピックされて1つの解釈を形作るけど、今回はそれが映像だけでなく、または映像以外の部分がはっきりと感じられながらのものだった

上映後の挨拶で、主人公は感覚を通して自分自身や自分の人生について定義しようと、探そうとしていた。あるレーンに乗るとある場所で根を張ろうとするとそこで探す行為が途絶えてしまうが、探し続けていたといったことを仰っていて、これは僕たち全員が意識しなくてはならないことだと感じた。
ある感覚が、自分をどう形作るかどう今の状態を定義するかの側面で分析することがとても大事で、これら感覚が、相手の感情や正しいルートに対しての正解か不正解か、修正が必要かそうでないかの確認として、つまり危険の察知、ある決まった方向への最適化のための計測手段として使われてしまうと、何か骨髄で生きてるような感覚になる気がする。いつのまにか中が廃れて空洞になってそうで怖い。燃やした時に骨の周りに強いものが少し残るくらいの中身になっていたい

といった形で、観た後に色々な派生をさせてくれる映画だった
シーツのシーンの、シーツ越しに見た娘が直接見た時よりも娘であるところ、めちゃくちゃよかった
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