幽斎

ファイブ・デビルズの幽斎のレビュー・感想・評価

ファイブ・デビルズ(2021年製作の映画)
4.6
【幽斎の2022年ベスト・ムービー同率10位作品。本作で全て揃いました】
レビュー済「ダブル・サスペクツ」脚本でデビューしたLéa Mysius監督。長編2作目でレビュー済「パリ13区」ライターの才能だけで無い事をカンヌ映画祭クィア・パルム部門受賞で証明した、タイムリープ・クイアの傑作。MOVIX京都で鑑賞。

渋谷のユーロライブで試写会の後で考察トークショーが開かれた。京都に住む私には縁のない話だが、確かにスリラーに馴染みの無い方には「解説」が必要なのは間違いない。だが、拙いレビューを書いてる私が言うべきではないが、自分で考える前に他人の意見を先に聞くのはスリラー的には本末転倒、映画には攻略本は要らない。其々の想いで咀嚼すれば良い。感想とは面白かった、考察とは何故面白かったのか?。違いはソレだけだ。

本作のキーワード「Queer」、アメリカ的価値観で性的マイノリティ、既存の性のカテゴリに嵌まらない人の総称。自分で認識してる性、好きになる性が、時代や文化の変化でマイノリティとされる。簡単にジェンダーと言う事も多いが、LGBTQの「Q」Questioningと同じ。同性愛者への蔑称で「変態」と言う人も居るが、現代では人権侵害に相当。カンヌ映画祭で独立賞として存在する意義がその全てと言える。

本作のプロットは「香り」で有る事は疑う余地はないが、監督はインタビューで「私は幼い頃から香りを嗅ぎ分け、ソレを再現する事が好きでした。ですが香水メーカーで働きたいから、と言う訳では無く純粋に感覚としての興味でした」。本作がカンヌで話題に成ると地元フランスの有名ブランドのオファーも、監督は丁寧に断ってる。本作にとって香りとは、スリラーへのイグニッションに過ぎないのだ。

前半の主人公はヴィッキーですが、タイムリープが可能に成ると、後半はジョアンヌがフロント・ロウにチェンジする。微妙にエロい(笑)、Adèle Exarchopoulosは「アデル、ブルーは熱い色」19歳でカンヌ映画祭パルムドール受賞。裏付けされた演技は本作でも陰鬱な表情を浮かべる妻の顔、溌剌とした高校生の笑顔の落差が素晴らしい。オーディションで選ばれた娘ヴィッキー役Sally Dramé、不気味な存在感の叔母ジュリア役Swala Emati、寡黙な夫ジミー役Moustapha Mbengue、アメリカ映画界で馴染みのない俳優揃いで、安易な先読みを許さない。

プロデューサーJean-Louis Liviと言えば、前作「ファーザー」フランス資本の作品乍らアカデミー作品賞候補に残る、不安と恐怖を体感させる画期的な表現スタイルが秀逸。本作は美しい山々が印象的なオーヴェルニュ=ローヌ=アルプの自治体からサポートで完成。撮影には御覧頂いた通りフィルムが使われてるが、脚本も書いた監督は山間の風景や湖の質感を大切に撮影、それを引き算の美学でドンドン削ぎ落とした結果が96分と言う、極めて濃密な時間に集約。これだけの伏線をよく収めたと言うのが率直な感想だが、結果として「解説」は必要不可欠な作品に仕上がった。

【ネタバレ】物語の核心に触れる考察へ移ります。自己責任でご覧下さい【閲覧注意!】

監督のインタビューの続きで、ハリウッドへのオマージュを隠さないが、フランス人監督がアメリカ映画を手本と公言するのも、やはり多様性だなと思う。Cinémaはフランス語で、映画と云う正しい英語は無い。オマージュで誰でも分るのが「シャイニング」。プロローグは空撮から始まるスタイル、Stanley Kubrick監督が天才と崇められる理由は、たったソレだけで「これから起こる不吉な出来事」予感させる効果を観客に植え付ける。今でも多くのスリラー映画は空撮からスタートするが、辿り着いた先で閉塞感を予期させる。

ヴィッキーのタイムリープと、ダニーの持つシャイニング。子供の特殊能力はシンプルに大人を不安に駆り立てるが、本作では先天性と言う「血」の繋がりに含みを持たせる。私が気付いたのは、レビュー済モダン・スリラーの傑作「アス」。ジュリアがタクシーで町に戻ってくるシーン、ジミーは笑顔で手を振るがジョアンヌの顔は硬直したまま。ヴィッキーも含め微動だにしない様子が「アス」と同じ不穏な空気を醸し出す。タクシーが一度通り過ぎてからバックで下がるシーンも「アス」に有った。

全体のコンポーネンツは「ツイン・ピークス」。私は推理小説が第一の趣味で映画は二番。日本も含めテレビドラマは時間の無駄と一切見ないが、例外が「ツイン・ピークス」の再放送。子供の頃に見た時の衝撃と言うか言い知れぬ違和感は、後にDavid Lynch監督の映画に触れ、大いに納得。本作も山間の自然溢れるロケーション、ツインじゃなくてファイブ(笑)。モブ役でも印象に残るヴィジュアル。ヴィッキーの黒魔術的能力。ナディーヌのキャラクター等、「ツイン・ピークス」の影響力は計り知れない。

ジャケ写である火事のシーンは本作のクライマックスだが、ソレを冒頭にインサートする事で、本作の構造がタイムリープで在ると観客に教える親切設計。中心であるヴィッキーは、両親の不仲を明らかに感じ取るが、叔母ジュリアの排除に失敗すると、自分のアイデンティティを守る為、大好きな母の香りと別れ、父親との新しい生活に移る。

母親ジョアンヌは、高校生時代の秘密の恋人ジュリアが放火犯として町を去り、友人の人生を滅茶苦茶にした負い目を一人で背負う。鬱屈した人生の唯一の楽しみは湖で泳ぐ事。随所にブルーの色彩がカモフラージュされるが、ソレは別れたジュリアへの思いを消そうとするメタファー。彼女は放火の呪縛から逃れる為、消防士のジミーと結婚。彼女から見ればヴィッキーはジュリアへの裏切りの象徴でも在る。

全ての禍の根源であるジュリアだが、ヴィッキーのタイムリープの幻影に悩まされる。兄のジミーが送ったカードを見て、ジョアンヌの浮かばない表情を見て、核心は無いが街に戻る。その後は以前からの計画通り、マルセイユへ2人で行きファイブ・デビルズには戻らない。高校時代に街を離れたら、早々に破綻したと思われる。多くの犠牲の元に生まれた愛が、観客から賛同を得られるとは到底思えない。

存在感の無いジミーですが、実は最大の鍵を握るのも彼。報われない様に映りますが、妹が街に戻ると当然ですが総スカンを喰らう。妻は自分を愛しておらずセックスレス。以前の恋人ナディーヌは火傷のせいで心も生活も荒んだまま。彼は本作で唯一全うで堅実な人。消防士は妻と妹の恋愛の火消しの意味も込められるが、加害者の兄としてナディーヌと結ばれない負い目も消える事は無い。私は妹の幸せを考えジョアンヌと結婚してヴィッキーを産ませた。自らの「血」を手元に残す事で、過去の事件を清算したと考えられる。やはり解説は必要だな(笑)。

【タイトルの意味とは?】

原題「Les cinq diables」5つの悪魔ですが、当然ですがラストシーンに表れた新たな女の子と関連が濃厚。作品の話をすると洩れなく、質問をされますが考察が要らない人に限って謎が解けない(笑)。良いんですよ、観た人其々の解釈でと思うのですが、レビューをご覧に成る方は、やはり小骨が喉に刺さった様な違和感を感じてらっしゃるのでしょう。私は耳鼻咽喉科の医師では有りませんが、その小骨を取り除きたいと思います。

本作の登場人物は4人。山間の風景の意味とか都市伝説と連想されると思うのですが、誰か忘れてませんか?、そうナディーヌです。結婚を約束したジミーは自分が火傷を負った事でジョアンヌと結婚、ヴィッキーと言う子供まで産まれた。自分はジョアンヌの紹介でプール掃除と言う仕事に就いたが、彼女から見ればジュリアこそ悪魔なのです。

新たな女の子はジミーとナディーヌの間に生まれた子供と解釈できる。ジョアンヌとのセックスレスに耐えかねジミーとセックスするシーンが有りますが、アレは割と日常的な行為と思われる。子供が産まれてもジミーは加害者の兄なので、街の風評を考えれば表立って再婚はしない。ナディーヌは産まれた子供を街の噂と闘い乍ら、シングルマザーとして育てる。子供はヴィッキーと同じ様に香りからタイムリープする力に目覚める。ラストシーンはジミーとヴィッキーの2人の生活を覗き見るナディーヌの娘と解釈すれば、全ての辻褄は整う。ナディーヌの子を含めてファイブ・デビルズ。「血」は継承され物語の続きが有ると言う意味。私の考察トークショーは以上です(笑)。

時間を埋め合わす事が出来ないなら選択肢を考える。物事は何も決まって無いのです。
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