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マンティコア 怪物のbluetokyoのレビュー・感想・評価

マンティコア 怪物(2022年製作の映画)
3.0
そういう映画だったのかよ。勝手に、ゲームのキャラデザイナーの生み出した怪物キャラが現実に現れて、大暴れする、みたいな感じかと思った。これなら、ゲームのキャラデザイナーという設定は、まるで関係ないじゃんか。かなり最後の方までいかないと、テーマがわからないというのは、作り方がうまいには違いないが、自分としては、あきらかにルール違反のように感じてしまう。それはそうだが、考えさせられるというのは、間違いない。
オチネタを前もって知りたくない人は、ここから先は読まないでください。
この映画における怪物というのは、小児性愛のことで、とくに主人公は、小児同性愛者なのである。おそらく、フリアンは、隣室で火事が起こって、クリスチャン少年を助けたとき、勃起かなんかしたんじゃないだろうか。そういう確実な自覚があって、それが原因でパニック障害を引き起こしたのではないかと思う。

そう考えると、恋仲になるディアナが、短髪でボーイッシュで、成熟した女性というよりも、男の子みたいなのは、まあ、そういうわけなのだろう。
自分が小児同性愛者だと知ったフリアンは、逃げるようにして引っ越しする。だが、ディアナは、ボーイッシュだが、所詮、やはり、女性なのでクリスチャン少年の代わりにはならない。

フリアンは、寂しさに耐え切れずに、またしても、クリスチャン少年の家まで行ってしまうのだ。

ニュースに取り上げられたり、ジャニー喜多川氏の事件もそうかもしれないが、小児性愛者、あるいは、小児同性愛者というのは、社会の中に一定数いるようなのだ。とすると、小児性愛者、小児同性愛者は、性的少数者、性的マイノリティーに含まれるんだろうか。
それ以前に、インセストタブーとは別だが、小児性愛、小児同性愛は、やはり、強烈なタブーではあるはずだ。

一番最後に、投身自殺して、寝たきり状態になったフリアンを、ディアナが献身的に介護する。そこで終わっている。

そうだな。性愛なんて、結局、人生の中では、ほんの一部でしかないんだよな。
性愛だけで、その人間のすべてが決まるというのも、あまりに短絡的ではあると思うよ。
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