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父は憶えているのkuuのレビュー・感想・評価

父は憶えている(2022年製作の映画)
3.6
『父は憶えてる』映倫区分 G
原題 This Is What I Remember/Esimde
製作年 2022年。上映時間 105分。
中央アジアの名匠アクタン・アリム・クバトが、母国キルギスのインターネットニュースで見つけた実話に着想を得て、出稼ぎ先のロシアで記憶と言葉を失い故郷へ帰ってきた父とその家族を描いたヒューマンドラマ。
キルギス・日本・オランダ・フランス合作。

23年前にロシアへ出稼ぎに行ったまま行方がわからなくなっていたザールクが、キルギスの村に帰ってきた。
家族や村人たちは記憶と言葉を失った彼の姿に動揺するが、そこにザールクの妻であるウムスナイの姿はなかった。
周囲の心配をよそに、ザールクは村にあふれるゴミを黙々と片付ける。
そんなザールクに、村の権力者による圧力や、近代化の波にのまれていく故郷の姿が否応なく迫る。

アクタン・アリム・クバト監督の今作品はモチーフを繊細かつ巧みに扱った作品の一つでした。
今作品は、旧ソビエト共和国の僻地に位置するキルギスの眠った村を舞台にした牧歌的な群像劇で、コロナ禍の最盛期を描いていました。
クバト監督の5年ぶりとなる長編は、20年以上前に仕事を求めて家族と家を離れ、ロシアで行方不明になっていた、息子ザールクがついに発見され、無事に帰ってきたという村の長老たちの噂が広まるところから始まる。
この見事なまでに控えめな多キャラ研究において、クバトはザールクの帰郷、そして、成長した息子が云うには、彼は、ひどい事故に遭い、無口で記憶もない。
その素材を、古くからの遊牧民の習慣と保守的なイスラムの価値観をいまだに守り続けている独自の世界である、弧を描く中央アジアの共同体の生活と情熱に入り込むための物語装置として使っている。
映画を通して、クバトの淡々としたステディカムショット(カメラマンがカメラを持って歩いたり、車載したりする際に生じるブレや振動を抑え、スムーズな映像を撮影すること)は、まるで新しい宿主を探すウィルスのように、色とりどりの村の人物から別の人物へと、空間を漂い、浮遊し、点と点をつなぎ、キルギス社会の縮図を徐々に描き出していた。
ドラマの多くはザールク(監督自身が悲喜こもごもに演じている)を中心に展開されるが、彼はかつての自分の殻に閉じこもり、突然の再登場が町の人々の間に巻き起こす騒動に無邪気に気づいていない。
特に、ザールクの献身的で敬虔な元妻ウムスナイ(タアライカン・アバゾヴァ)は、ザールクが死んだと思い込んで地元の有力な金貸しと再婚し、今は塀に囲まれた屋敷で隠遁生活を送っている。
しかし、ザールクが戻ってきたことを知ると、彼女は心を入れ替え、裕福だが虐待的な2番目の夫のもとから逃げ出し、彼と再び結ばれようとするのだが。。。
そして、その間、元妻のことも息子のことも覚えていないザールクは、村の埃っぽい道路でゴミを集めるためにふらふらと歩き回る。
この奇妙な行動は、彼がロシアでゴミ収集や道路清掃の仕事をしていた可能性が高いことを示唆している。
ザールクとウムスナイが若い頃、恋人同士として 熱いデート をしながら散歩するのが好きだったと云うポプラの木立がある。
何度も繰り返されるトラッキング・ショットは、今作品の印象的なライトモチーフとなり、20年以上にわたる強制的な別離の間に消え去り、ザールクの記憶の奥底に捨てられてしまった夫婦愛を探す、思い出の小道への旅への誘いとなっている。
無限の消費と発展を求める社会の中心から忘れ去られたような小っちゃな国の小さな村で起きていることが、実際は全世界で起きているという譬え話である。
巧みな映像の乾いた空気に色彩、その中にあるのは人間の営みという湿った愛だけなんかな。
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