アオヤギケンジ

春に散るのアオヤギケンジのレビュー・感想・評価

春に散る(2023年製作の映画)
3.6
誰が言ったか知らないが、ボクシング映画に駄作なしという格言を見事にぶち破ったボクシング映画。思いのほかの長文です。
駄作と言うと言い過ぎかもしれません。役者(特に横浜流星)の身体作りは素晴らしかったし、観れないほど酷かったわけではありません。それでもやはりこの面子、この規模感を考えれば、駄作と言って良いような出来であったとは思います。
まず気になるのはすべての事象が記号であるかのようなその描き方です。説明を極力減らし、できるだけその背景を描かずに、叙述的に描くその描写自体は良いし、そういうボクシング映画は結構あるように思います。しかしおそらくは、そこからは観客が想像して欲しいと思っていたであろう背景や心情がまったく想像できません。それは想像したくなるような物語が今作にはほとんどないからです。(作中の)佐藤浩一の人生にも横浜流星の人生にも山口智子の人生にも、まったくと言って良いほど興味が持てないのです。
なぜ興味が持てないかと言うと、前述したように描写が記号的だからです。たとえば今作は貧困に対する描写があるのですが、その貧困の描き方が、富裕層が「貧困ってこんな感じザマスでしょ?」と言った感じの描写なのです。
そもそも佐藤浩一がアメリカ帰りで何で成功したんだかわからないけど、家を買って2人の成人男性を働きもせず養えるだけの財力がある時点で、もう横浜流星の面倒を見るのはは老人のただの道楽でしかないのですが、この十分な貯蓄があるだろうと思える佐藤浩一の財力が語られることはありません。つまりボクシングは貧しい者のスポーツで、成り上がり物語であると言うことを暗に仄めかしていて、だから記号的に佐藤浩一を金持ちの道楽と描かなかったのではないかと訝ってしまいます。
物語がとにかくこういう記号的なものに溢れているため、ほとんどが観客の想定した通りに進みます。こっちが勝つだろうと思ったらこっちが勝つし、あっちが勝つだろうと思ったらあっちが勝つ。そこに困難がまったくないのです。描かれてる困難は困難っぽく見えるだけで、その実ずっと既定路線を歩き続けているにすぎません。だからそんな彼らに興味は持てないのです。
つくづく、この役者陣ならもっと良いのが撮れたんじゃないかと、残念でなりません。