信仰はもちろん、伝統とか因習とか、なんか古くて重そうなものを“外側”から眺めた時、どうしても萎縮しちゃって、なんかおかしいと思っても、その“内側”への介入を恐れ、そのままにしておくのがいいのだという自己欺瞞で見て見ぬふりをすることってよくあると思うんです。しかも文明人気取りなほどその傾向が強い気がする。
しかしそんな中にもほんのひと握り、どうにかしてやろうってゆー猛者がいて、実はそーゆー人がいるからこそ、行き止まりの世界の片隅に、時より希望の光が灯ったりすることがあるんだと思うんです。
伝統とかルールとか、そーゆー実際目に見えないものは置いといて、守りたい人のことは守るってゆー行動指針かな。
この映画を見て、ちょっと前勧められてみた『彷徨える河』を思い出した。
あちらも原住民を勝手に神聖化して介入を不徳とする“文明人”をコケにする映画だった。
さらに、TED『社会運動の起こし方』での名言、『素晴らしいことをしている孤独なバカを見つけたら、立ち上がって参加する最初の人間となる勇気を持ってください』という言葉を思い出しました。羨望。