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聖なる証のgeminidoorsのレビュー・感想・評価

聖なる証(2022年製作の映画)
3.6
映像は綺麗。役者もいい。
美術の大道具段階で現実にはかなり有り得ない色に着色したのが良く判る。各人の衣装との相関で、画面全体の不穏さや、或る意味凄く閉じた幽玄さを醸し出す効果。
物語の引率は、以前戦場にも赴いた経験有る看護婦であり、主たる話題の人物は飯を食わない少女。
前半辺りでは、一体この話の方向は?とムズムズ。そんな不安の疑問符が醍醐味かナ?と期待した。

しかし観終えたら、つくづく"映画って難しいナ…"と思った。宗教的な感覚や匂いを技(武器)に創り上げた映画って難しいナって。
安易な題材ではナイし、急いで結論無理強いな脚本でもない。
最終着地点には、もう少し捻りや余韻的な疑問符表現して欲しかったが。
それでも安っぽい作品ではないと云えるだろう。
だけどなんだろ…この不満足感…




冒頭とラストのスタジオ風景の種明かし的な"映画のマジックって凄いでしょ?"のカットはダサい。解らないし、解りたくないナ〜絶対要らないし、ハッキリ申して嫌いなんだろうナ。

兄の写真の眼を、写真の上から母親が描いているーその小道具設定も、妹が味わってきた"試練"→もしくは閉じ込められている"境遇"を鑑みれば解釈しにくい。というか話の精神性が逆に薄れてしまっている。
母親の複雑な気持ちからの表現より、観る側への"脅かしサービス"に陥っている演出にしか私には感じられないのだ。
鑑賞後に幾ら考えても、そう感じざる得ない。

設定舞台の村自体が閉ざされた僻地であり、作物は常に足りない不毛の土地。少なからず信仰心に頼るしか縁無く。村のオサ達が並ぶテーブルの図は、キリストの最後の晩餐ではなく、まるで映画"薔薇の名前"での宗教裁判の縮小版であり。
だが何故こうまでも聖少女(周りからみて)の妹が、神に過剰意識にならざる得なかったのかーその暗闇に対して、あの小道具(御話内ではかなりのインパクト提出だった)は、作り手が"映画を観るコチラ側を驚かす為の題材"くらいに感じてしまった。
つまり、あざといと感じた訳で。

静かな映画の中で、数点の際立った"あざとさ"。併しソコがかなり重く響くパーツだから、思い返すと…レビュー冒頭に記した非現実的な着色や、画面からしきりに伝わる緊張感さえも"???"と成ってしまう。
全部"あざとく視えてくる"みたいな。



頭脳を使って創作上で"宗教を技として使う"ならば、あざとく無く願いたい。
テクニックで神を使っても、見え透いてて、つまりは軽んじてて匂い(臭い)がつく。

頭の良い人が考えたストーリーより、ハート(魂みたいなものかな?)の沸るまま創ってしまった作品を観たい。
たとえ多少陳腐な部分があったとしても、最終的にはハートはハートにたしかに響くだろうから。



歩んで来た道に積もった、様々な出来事や時間…
見えないけれど、映画を観るみんな誰しもに有る訳で。
ワタシの場合はその分に比例するかの如く、だんだん上記を求める傾向が増している、みたいだ。

そんな気がしている。
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