わんこ我々はら組

猿の惑星/キングダムのわんこ我々はら組のレビュー・感想・評価

猿の惑星/キングダム(2024年製作の映画)
3.8
猿の惑星さん、お久しぶりです!

オリジナルから数えると10作目、シリーズは4作目の猿の惑星は、一貫したテーマを今回も貫くことで猿の惑星であることを忘れずに新たなテーマを語り切った作品であったと思います。

今作は、悪役のプロキシマスがとっても良くて、彼の周りに新たなテーマが展開していきます。

今作は、猿と人間は共存できるのか、という問いに10回目の答えを示しています。1970年に一作目が公開されてから世界と人種をめぐる戦い、作品は様々な進化を遂げてきました。一作目は最後のシーンのどんでん返しに印象を奪われてしまいますが、あくまで人種とテクノロジーについての映画になっています。

今作では、明確に言葉で共存について語っていますが、これはまあ一回おいておきましょう。今作ではより時間をかけて語られるのが、人は(エイプは)進歩してもいいのか、という問いです。人は夜空の星に憧れて、進化をやめず地球を飛び出しましたが、その結果のつけが地球温暖化などの地球からの圧倒的な暴力によって回ってきます。それでも人は空を見上げてもいいのか。

今作は前作から300年ほどが経過し、文明が失われた未来で幕を開けます。その荒廃都市感は、最近の傑作『Nier Automata』からそこまで進歩したとは言えませんが好ましい描写でした。

そこでは過去人類が残したテクノロジーをエイプが有効活用することができずにいる未来で、プロキシマスはエイプの進化を促すためにそのテクノロジーを求めます。

かたや人間も、もう一度世界とつながるためにロストテクノロジーを探します。

また主人公「ノア」の部族は、掟に縛られプロキシマスから逃れることができないでいます。

と、このように3つの立場のキャラクター群が、進化をすることができるのか、そしてその是非が問われています。

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ネタバレ注意

プロキシマスは王国の進歩、進化を求めます。その進化の先にいる我々はプロキシマスを非難する立場にはありません。その進歩の先にこの映画が存在することがわかるからです。しかし彼は進歩の先に暴力装置を求めてしまいます。

その結果自然の暴力装置にしっぺ返しを喰らうことになります。

かたやノアは、うまく描写されているかはわかりませんが、自らの掟を否定します。この物語は完全に『ブラックパンサー』を踏襲していると思われますが、前の掟を捨て、変わることを決意するのです。

進化をやめなければ、人と猿は共存することができず、進化をやめた先で、共存することができる、かもしれません。