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殺しを呼ぶ卵 最長版のチネマエッセのレビュー・感想・評価

殺しを呼ぶ卵 最長版(1968年製作の映画)
4.0
B級映画としておさめてしまうには、あまりに芸術性が高い作品。出来の良い作品。期待以上でした。

1968年の映画ですが、ということはどういうことか。今ではジャッロと言われる映画だが、まだダリオ・アルジェントも撮っていなかったということ、スローフード運動なども存在していなかったイタリアで、ブロイラーの開発の行き過ぎへの危機感や、文明の発達を称賛するが故の人間の倫理観の衰えへ警鐘を鳴らした作品であるということだ。

ジャッロの映画はただ人を恐怖感へ貶めるもの、ただサスペンスを展開するものも多く目に余るのだが、これはなんだか落ち着いて見れた。その理由は、パルチザンも経験した監督による実体験を踏まえた上での社会的メッセージがどっしりと作品の底を支えているからだと想像する。

アバンギャルドな画、色使い、そしてブルーノ・マデルナ の前衛音楽(電子音楽や耳障りな弦楽奏)により人がただ目薬をさしているなんでもないシーンでさえも、刺激的で不穏な気持ちにさせる。そんなシーンの連続なのに、最後には異常な性癖を持つジャン・トランティニャン演じる男が、ブロイラーの象徴的な異常成長した鶏を処分したという教訓めいた描写があることもホッとさせるのかもしれない。

作品スタイルは全く違うけれども、どこかパゾリーニ っぽさも感じる。パゾリーニ の『豚小屋』も連想させたけれど、あれは1969年。社会に対する同じような危機感を持っていたのかもしれない。

ところでジャン・トランティニャンはやはり良い俳優。自分を全く変えずに、色んな役ができる。全く違う役柄でも演技や表情をさほど変えない。それでもその役にぴったりくる。

現代の俳優は器用で何でも演じられる演技上手な人も多いですが、(実在の人物であればその再現性はすごい)
こういう俳優は今いないなー少なくともイタリアではいない。イタリア人であればマストロヤンニがそうだった。

「殺しを呼ぶ卵」というと如何にも卵のせいで殺人が繰り広げられるような印象を持つ邦題だが、実際は「死」が卵を作ってしまうという感じがする。何の「死」かは色々と解釈ができると思う。

夫婦とは何か、愛とは何か、というテーマも別軸で流れる。そして現代社会の中に自身を失う人々。工業化や資本主義への反発など。この映画で語れるべきことは多い。

こんなにもグロテスクで衝撃的なシーンを目の当たりにしても、私たちは次の日には鶏肉を平気で食べるのでしょう。それはまるで3歩歩くと忘れる鶏のようです。
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