ぼさー

道草のぼさーのレビュー・感想・評価

道草(2022年製作の映画)
3.9
現代アートにも通じる示唆に富む作品だった。自分が価値を置くものとビジネス的な市場価値の対比を具象絵画と抽象絵画という切り口と二人の女性との恋愛模様を通して描かれる。

主人公の道雄は優しい笑顔の好青年として登場し素敵な恋愛模様として描かれるが、後半は誘惑に弱くだらしなくて煮え切らない性格の持ち主であることが露呈してちょっとショックだった。前半の秋晴れ日向のような雰囲気が心地よかったのに。。

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道雄は自身の絵画作品ではなくゴミ捨て場で拾った抽象絵画作品を自身の作品と偽り販売。その作品が想定より高い価値がついてしまう。それを二度経験する。

この小話が現代アート的な示唆のある部分だと強く感じた。順を追って見ていこう。

①作者不明の抽象絵画が市場に出る
→ ②誰かが何らかの価値を見出してその作品を購入する
→ ③後にその購入者は見出していた価値を放棄し無価値と考える
→ ④無価値とみなして他の人に譲るのではなく廃棄すなわち作品の破壊(焼却処分)を意図する
→ ⑤道雄がそれを破壊から救い、自身の作品と偽って再びアート市場に復帰させる
→ ⑥アート市場で新たな価値を見出す購入者が現れる

以上の流れの中に、次のような幾層にも連なる問題をレイヤーとして見出して提示することができ、そのことを以って現代アート作品として仕上げることができそうである。

・モノや価値を安易に消費する社会
・二次流通させずに簡単に廃棄する社会
・ゴミとして捨てられたモノは誰のものか?それを拾って所有することで所有者移転できるか?という考え方と国内法の考え方
・作品そのものではなく作者に価値を置く態度への批判
・作者を偽る行為、何らかの情報を偽る行為、すなわち「フェイク」という現代の情報化社会にはびこる問題
・そもそも芸術作品の価値とは?
…などなど。

道雄は残念ながら現代アートに馴染みがなさそうなので、ゴミから拾った作品に高値がつくことの面白さや皮肉さこそが現代アート的な価値になることを見出せない。

しかし道雄は自分の趣味ではない抽象画を描くようになり、皮肉にもその後ろ向きでネガティブな動機が作品のパワーとして評価されてしまう。そういう背景を持って作られる抽象画にはやはり価値があると思う。

本作を観る前に上野の岡本太郎展を鑑賞したのだけど、岡本太郎も負の感情を作品にぶつけていた。芸術は爆発と言っている、その「爆発」はネガティブな感情でも良いわけだ。
道雄の描く抽象画は揺れ動く心情と自暴自棄が相まったネガティブな行為として表現されていた。道雄はその制作心情を語ってファンを獲得すべきであるし、恋人のサチの理解も得るべきであった。それができなかったのはアートを好き嫌いで捉え過ぎているからで、美大出身ならもっとアカデミックなことも勉強してロジカルに作品制作してほしかった。

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俳優陣の青野竜平さん、入江崇史さん、谷仲恵輔さん、山本晃大さん、片山享監督によるトークイベント付き上映を鑑賞。

入江崇史さんが芸術鑑賞での価値の置き方は人によって異なるという主旨の話の中で、ご自身の例としてピカソのゲルニカはグッと来たが、岡本太郎の明日の神話はそうでもなかったと語っていた。今日は上野の都美で岡本太郎展と藝大美術館で現代アート展を観て、下北沢に移動し、本作鑑賞。その帰り道の渋谷駅で岡本太郎の明日の神話を観た。芸術の何たるかを考えることができた一日だった。
ぼさー

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