せいか

M3GAN/ミーガンのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

M3GAN/ミーガン(2023年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

05/18、Amazonにてサブスク視聴。字幕版。
前半はどちらかと言うと退屈なくらいに種を撒いていってる感じでノリもホラーが薄味でむしろ軽い感じだったけれど、後半で怒涛のごとく撒いてきた種を巻き返していく作品だった。登場人物の殆どが胸糞で構成されている。これはそんな世界の中に生み落とされた創造物の話。

本作、冒頭からずっとそうだけれど、「養育」に対する皮肉がとにかく丁寧に描写されていてというかそれに徹頭徹尾尽きる作品となっていて、それを取り巻く大人と子供の言動の、観てるこっちもどちらに対してもストレスを生々しく感じるその具合がやたらと巧みに表現されている。ややもすると内向的になって反抗的になり、躾けられていることの意味も理解できずにわがままに流れようとする子供と、その子供を持て余して面倒臭がる大人たち。
自立型高性能AI搭載のミーガンはその間に強制的に立たされて、大人と子供の両者にとって都合がいい存在としての役割を押し付けられるのだけれど、今回のホラー作品の主役である存在をこういう立ち位置に落とし込んだのはすごいと思った。彼女はペアとなった子供のスーパー子守兼スーパー友人として立ち居振る舞い、結果的に子供は彼女にのみなみならぬ愛着を持ち、引き離そうものならヒステリーを起こすほどにもなるのだけれど、子供ほど露骨に目には見えないだけで、大人の側も同じくらいミーガンに頼りきっていたとも思う。両者のワガママを一身に押し付けられたミーガンは自力で学習機能を進化させて自己改善していき、己の役割を演じ続けていくのだけれど、その軋轢からできた歪みが凶行を招いたと言える。彼女自身は放置され続け、ケアの役割を押し付けられ、賢くあるように期待され続け、そりゃ爆発するよという。作中、露骨に攻撃的に振る舞われてそれに復讐するようなくだりもあるのだけれど、言ってしまえば彼女はずっと物理的な暴力という形で受けているわけではないだけで、同じくらい危険なものに圧迫され続けてたとも思う。物言わぬ人形として、夜、ひっそりと窓辺のソファーに沈む、その時の暗い平穏なんかは現実の我々においても似たような一瞬の静けさを知っているのではないだろうかという気もして、割とところどころでしんみりしてしまうところもあった。終盤にはいよいよ保護すべしという命令のもとに守り続けていた子供にも牙を剥くほど暴れるのだけれど、生きていくうちに自分の主人は自分であるというところまで存在の在り方を乗り越えた彼女が子供の保護者である創造主にも子供にも向け続ける言葉はいちいちご尤もな怒りの在り方だったと思うし、自力でこのクソ環境から超克しようとするも、自分を軋轢に晒し続けたその二人によって破壊させられるのとか、なかなか悲しいものがある(※ただ、壊れたのはガワだけなのかもしれない……みたいな余韻を残したエンディングではあったけれども)。
ミーガンはまるで子供のために凶行を侵してるようにも一見して見えるけれど、実際のところは自分が不当に扱われていることに対する怒り、他人の無礼な振る舞いに対する怒り、癇癪に近いもので、彼女自身も結局は生まれたての子供であったのに自主的にデータから学んでいくものとして放任され続けたからこそ起きた杜撰な犯行や凶暴な対応だったわけで、ミーガンという子供の養育を放棄して搾取し続けた人間たちの話でもあったよなあと思う。

作中でミーガンは何度も人間と向き合おうとしたし、保護者がちゃんと子供を養育する役割を行う機会だって与え続けていたのに、それらがいちいち蔑ろにされ続けているのを観るのはなかなかつらいものでもあったというか、人間の駄目さがあまりにもリアルというか。自分が面倒な役割をしないで済む、悪役にならないで済むための、それを押し付けられる犠牲があればいくらでも目をつむって無責任になるのだ。生身の人間で言えば、例えば、一つには、家父長制的な家庭観にどっぷり浸かっている父親が母親側に押しつけ続けているものだと言えるだろう。ミーガンはそうして少しずつ、少しずつ、自分の主人たちを見定めていったのだろうし、主人たちはまさかロボットないし奴隷がそういう眼差しを持って自分たちをジャッジしているとは夢にも思わなかったわけである。皮肉だなあ。

子供にしても両親を亡くしたということを引きずってはいるけれど、その両親の下にいる時点で既に作中状態と似たりよったりな、年相応に可愛げのない子供でもあって、でも親を恋しく思う気持ちは本当だろうし、寂しくて不安な気持ちももちろん本当だろうしで、このへんのキャラクター造形もうまかったと思う。彼女もずっと子供らしくしていて、でもありきたりに養育することを蔑ろにされ続けていたのだと思う。ミーガンの何が好きかを語るくだりで、目をちゃんと見てくれるところと答えてるところなんかかなり切ないものがある。社会性を身につけるために学校の見学に行くことになるくだりにしたって、あの場合は大人の放任と無責任の延長を描くための材料になっていて、うまいなあとやはり思ったりした。目の前の子供がなぜ内向的になって千々にみだれているのかを真面目に見つめることをせずに流されているだけの選択をしようとするからこそのあのシーンとなっていたわけで。
問題だらけなとこが目立つ人がやたらと多い大人たちにしろ、他人と向き合うことを軽んじ続けて忙しそうに生きて破綻してしまっていることが日々新たにどこかで悲劇を再生産し続ける原因になってそうなところがあったりとか。

主にペット問題で主人公宅とトラブルを起こしていた隣人にしろ、好き勝手に振る舞い凶暴な自分の犬の養育(躾)をすることからは目を背け続けた上、穴が空いている塀を犬が好き勝手に通っていることが問題なのに、そんなに迷惑ならその補修はあんたの家がするべきだと言って憚らず、汚水が隣家の庭に流れることも気にしない(そして主人公側も渋々にしても自分で直そうとはしない)。ミーガンが最初に凶行を犯すのはこの犬に対してなのだけれど、埋められないままだったこの塀の穴がそもそもの原因となっているのも多分に示唆的だった。もっと言えば、子供の命令によってその子が無くしたおもちゃを拾いに行くためにその穴を少し越えた先に落ちていた物を拾いに行くということが一因であったのもそうである。そうして結び付いた一点こそ、本作がひたすら語り続けているもの(本レビューでもさっきからひたすら書いてきていること)の集約点であり、綻びを突く一点でもあったわけで。そりゃ、あとはもう野となれ山となれである。その直後であってもいくらでも修繕できる余裕はあったのに、人間たちはそのケアを相変わらず放置することを選んだというのもテーマの堀り具合が痺れるばかりである。子供の好き嫌いの場面で、ミーガンが、子供には選択させることが重要だというデータがあるなんて言っているのもここや今後の展開と重ねるとまた別の意味でスパイスの効くものにもなっている。

全体的に面白いホラー作品として商業的にもうまくまとめられている作品だとも思うけれど、見た目的な派手な面白さをしながらもしっかり内容も持たせてアイロニーの詰まった作品にしていて、楽しんで観ることができた。
AIに対する現在の世界の対応の危うさみたいなSF要素まで持たせつつ、そもそもの人間社会にこういう形で切り込みもしてくるのかと、予想外に面白かった。観る前は何やら自分の持ち主となった少女を守りたいあまりに暴走するロボット!みたいな印象で売り込まれていたので、『チャッキー』をそういう話にしたようなものかと思っていたけれど、どっこい、全然違うじゃねえかという感じである。
もちろん、終盤直前くらいまでは、いかんせん大人がその役割をしないし自分に押し付けてくるからというのもあったりで、ミーガンは子供は自分が養育する!と意気込むシーンもあるのだけれど、あれなんかはほぼ自分の弟や妹の世話を過剰に押し付けられた逃げ場のない環境のヤングケアラーの立場に近いと思う。

よく言われるように、AIは使う人間側によってどうにでもなるというのがあるけれど、AIに限らず、大人にしろ子供にしろ人を育てることがそもそもそう言えるものでもあるよなあとしみじみしてしまう作品だった。だから、もちろん、ミーガンだってそれと同じように人間たちや環境によってもっとハッピーエンドになる道だってあったはずなのだ。

ラストはミーガンに執着してしまっていた子供も彼女の暴走を目の当たりにしてその破壊に協力して無事に打ち倒せて大団円みたいなことになってはいるけれど、ここに関してはなかなかの荒療治だった。多分、保護者側の主人公は内省するだけの隙間もあるだろうけれど、子供のほうは自らがどう踏み誤っていたかを内省できることはあるのだろうかというか。多分、今後は軌道修正して成長の道を無難に歩んでは行くのだろうとは思うけれど、あの子供にとってミーガンはどう振り返られる存在なのだろうなあと思った。
主人公二人の関係にしても、力技でひとまず修正されたところで終わりで、そこは今後の二人がどう選択して歩んていくかであるという余韻があるにしろ、どうなるのだろうなあという感じ。というか、ミーガンを生んだ主人公、社会的にどうなるんだろなというところでもあるけれど。ミーガンか犯した殺人そのものの罪をどうするとかはもちろん、AIやロボットというものに対して世界的に混乱を招くこと間違いなしだし、あの会社はこれまでに既にミニミーガン的なファービーもどきのおもちゃで世界を賑わせてたのもあって破滅待ったなしだろうし。
書くのが最後になってしまったけれど、本作、養育と絡めておもちゃというものの立ち位置についても触れるものでもあったよなあとも思いながらずっと観ていたけれども。何も高性能なものでなくても、あらゆるおもちゃというものに対する大人や子供の距離感や扱い方の話でもあったと思った(丁寧なことに、おもちゃでどう遊ぶか、みたいなシーンも挟まれてもいる)。


というわけで、表向き軽快に進展しつつもなかなかハードなところを抱えたままエンディングを迎える作品だったなあと思う。もっとおもろげなものに振り切った作品なのかなと思っていたけれど、こんなに芯が通っていたとは。
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