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カンフースタントマン 龍虎武師のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.2
 ハリウッドを凌駕し、世界に衝撃をもたらした香港アクションを紐解いた映画との触れ込みだが、その形容は伊達じゃなかった。ブルース・リーやジャッキー・チェンらの全盛期の映像や、現代のドニー・イェンは映像だけに留まらずインタビューでも登場するが、それ以上に今作の主人公として、彼らの敵役や代役をこなした幾多のスタントマンたちに焦点を当てる。香港アクションのスタントマンたちの殆どが京劇出身者だということは頭には入っていたものの、その中でも厳密に言えば武術系=ショウ・ブラザーズ、京劇系=ゴールデン・ハーベストと分かれ、両者の動きはフルコンタクトとアクロバティックなスタントで何もかもが違うのだ。そのインタビューを裏付ける明快な資料として、当時のショウ・ブラザーズとゴールデン・ハーベストの傑作の数々が今作には無数に登場する。著名な映画批評家でもあるウェイ・ジェンツーが3年の歳月をかけ、有名無名併せて100名のカンフー・スタントマンにインタビューをした労作だ。中でも興味深いエピソードとしては、ブルース・リーの鎮痛剤による突然の死のあと、一切のアクション映画が製作されず、スタントマンたちは5年余りも路頭に迷ったというのだ。そのくらいブルース・リーの死が香港の人々にもたらした影響は計り知れなかった。

 飛躍と低迷の時代を繰り返しながら、やがてサモハン・キンポー(現在のサモハン)やジャッキー・チェン、ユン・ピョウらを擁した80年代のカンフー・アクションの快進撃は我々の記憶にも新しい。『ドラゴン危機一髪』や『ドラゴンへの道』に始まり、傑作『プロジェクトA』や『五福星』。『ファースト・ミッション』や『サイクロンZ』などの名場面が矢継ぎ早に繰り広げられる展開は、まさに香港映画の黄金時代を凝縮した最も幸福な時代の再現だ。だが独り立ちしたサモハン・キンポーやジャッキー・チェン、ユエン・ウーピン、ラウ・カーリョンらがそれぞれ自前のスタント・チームを持ち、メンバーを食べさせていく時代がやって来ると、次第にスタントは過激さを増して行く。観る側の目も肥え、その過剰な要求に答えなければならないスタントマンたちのスタントも次第に過激さを増す。サモハンの無茶ぶりなど現代の視座で考えれば明らかにパワハラだが、集められたスタントマンたちはその要求に応えなければ明日はなかった。観客側のもっと過激にという欲望とスタントマンたちの過剰な要求に応えようとする意識は合致し、各組の新作を観てより大胆に、過激な演出を施して行く。何だか全盛期の新日本プロレスと全日本プロレスのようだが、そのデッド・レースは誰かが死ぬまで終わりは来ない。中盤以降の危険なスタントの連鎖は正直、インディープロレスのデスマッチの100倍危険で良い子は絶対に真似してはいけない。

 特に火薬の爆破から8階から真っ逆さまに落ちるチン・カーロッと仲間たちのエピソードは、全員助かったことが奇跡に等しいほどの過激さだった。それでもスタントマンたちはプロフェッショナルだから、どんなに危険だとわかっていても首を横に振ることは出来ない。プロだからこそ、アメリカ映画のアクションはボクシングばかりと酷評し(その中にも良いものは当然ある)、香港映画こそがアクションの王者なんだとみな、自負して止まない。貧しい家の子供たちが京劇の訓練を受け、スタントマンとして映画の世界でのし上がる。ブルース・リーの死は頭痛を誤魔化すための鎮痛剤服用でのものだったが、いきなり大金を手にし、極限の状況を経験した者が賭け事や薬物に走り、身を持ち崩す。あまりにも陰惨な最終章は必見だ。途中まで香港のスタントマンはプロフェッショナルを謳っていたものの、年老いたオールド・スタントマンたちの現在の姿に思わず言葉を失う。ドニー・イェンは別にしても、スタントマンたちが現場で培った職人の業が継承されないのは、ここ日本でも撮影所システムの崩壊と共に浮き彫りになった。香港映画の全盛期にしのぎを削ったショウ・ブラザーズとゴールデン・ハーベストは今はもうない。栄枯盛衰の歴史の中で、止められなかった崩壊の流れにうっかり涙ぐむ。それは日本映画でも同じで、この香港の映画情勢を見て何か手を打たなければという危機感がある。同じアジアとして見れば、決して対岸の火事ではないだろう。
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