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カンフースタントマン 龍虎武師のdm10foreverのレビュー・感想・評価

4.1
【今を生きる】

これは何とも味わい深いドキュメンタリー作品😁

例えるなら「カンフー映画をおかずにご飯を3杯食べて育ってきた人間」からすると、まるで「ママの味」のルーツを探るかのような感覚とでも言うべきか、ともすれば郷愁すらも漂う香港カンフー映画の栄枯盛衰。

構成としてはインタビューがメインとなるため、どうしても「字幕を追う」という作業が負担になってしまったのはちょっと残念。
とは言え、初期のカンフー映画の貴重な蔵出し映像から、我々が熱狂したカンフー全盛期の名シーンの数々までを様々な角度から見せてくれたのはとても嬉しくなった。

っていうか・・・・「サモ・ハン、老けたね~~!」から始まる(笑)
まさにリアルタイムで観ていた頃って「サモ・ハン・キンポー」ってフルネームで呼んでたし、実際にメディア等でもそう呼ばれていたけど、いつの頃からか「サモ・ハン」だけになったのは、何かあったのかな?
ゲッターズ飯田から「これからはキンポーは取った方が金運爆上がりしますよ」って言われたとか。

・・・それはさておき。
作品の序盤は、いわゆる「カンフー映画の成り立ちを知る」という意味ではとても分かりやすい構成だったと思う。
もともと京劇出身の役者が多かったことから、カンフー映画にもその影響が色濃く出ていて、殺陣(立ち回り)のシーンでも、どちらかというと「相手を倒す闘い」というよりもインド映画などに観られる「歌と踊りのシークエンス」に近い位置づけだった。
そこに突如彗星の如く現れたのがブルース・リー。
彼は「一撃必殺で倒す強さ」を前面に押し出すことで、それまでの「予定調和的な格闘シーン」に情熱と緊張感を注入した。
僕らの血が沸騰するような「カンフー映画」のスタイルはここから始まったと言っても過言ではないが、それは前述の京劇スタイルがあったからこその進化であることは間違いないと思う。

そして、この勢いで一気に世界へ!という気運が高まった時にまさかの「ブルース・リー急逝」。
急速に波が引いていくかのように立ち止まってしまう業界・・・。

しかし、そこから「サモ・ハン」や「ジャッキー・チェン」らが新しい風を送り込んで、香港カンフー映画は、アップデートにアップデートを重ね、遂にはブルース・リーの時代をも凌駕する黄金時代を迎える。

でも、それと同時に求められていく「もっと過激なアクションを・・・」という底なしの欲望。
いつしかカンフースタントは「予定調和」から「命懸け」へと変貌していく・・・。

『成功率が50%あればとりあえずやっていた。いや30%でもやっていたかも』

どんなに彼らが体を張ってアクションをこなしても映るのはほんの一瞬だし、スタントダブル(アクションシーンの代役)であれば顔すらも映らない。
それでも、彼らはスタントマンという仕事に誇りを持って生きてきた。

この辺は欧米的な「ビジネスライク」な思考ではちょっと理解できない部分なのかもしれないけど、スタントマンたちが自分たちのことを「チーム」と呼ぶとき、それは家族以上の繋がりを持つ一体感(連帯感)を意味している。
アクション養成所に入った新人は兄弟子を一生慕い続け、兄弟子は弟弟子を一生面倒見る。
これは中華圏独特の思想なのかもしれないけど、そこから生まれる連帯感や信頼感、結束の賜物があの壮絶なスタントシーンの数々に現れているのかもしれない。

しかし、頂点を極めたかに思えたカンフー映画界にもやがて時代の波が押し寄せる。
やがて「カンフー」は海を渡り「ハリウッドアクション×カンフー」という新しいスタイルが生まれる。
時を同じくして香港発のカンフー映画は影を潜め始める。
リアルなボディコンタクトや派手な爆破シーンにおけるスタントは「安全第一」がモットーとなり、更には最近のCG技術も駆使すれば、わざわざリスクを犯してまで人が演じる必要はなくなってしまった。

「あの頃」の香港はもう必要ないということなのか・・・。

そこに芽生える新しい伊吹。
まだまだ小さくて頼りないし、ブルース・リー亡き後に道を切り開いたジャッキー・チェンやサモ・ハンのようなスター性はないかもしれないけど、それでも彼らの存在にはちょっと嬉しくもなる。
香港カンフー映画にしか作れない映像もあるし、香港カンフー映画だから観たいと思っている人だってたくさんいる。
そういうものがある限りカンフー映画は無くならないと信じている。

『宵越しの金は持たねぇ』じゃないけど、当時のスタントマンたちは貯蓄や投資などには全く興味がなく、手にしたサラリーは文字通り「飲む打つ買う」で散財していたという。
結果として、高給取りだったはずの彼らには財産もそれ程残っておらず、更に当時の無理が祟って病院通いの毎日という者もいる。

でも、これは笑い話でも寓話のオチでもなんでもなく、彼らの生き方(生き様)そのものだと思った。
もちろん、そういう知識が不足していたっていうこともあったかも知れなけど、でももし知っていたとしても殆どの人は同じような生き方を選んだんじゃないかな。

昭和の最初の頃の日本の政治家って、今の政治家とは比にならないくらいに女遊びが激しかったそうだ。
「道徳的に・・・」だの「政治家としての資質が・・・」だの知ったことかっていう感じで。
っていうのも、当時の彼ら「政争」は命懸けだったから。
「暴漢に襲われる」「暗殺される」っていう危険と常に隣り合わせの中で毎日を過ごす彼らは、そういうところで「生」を実感していたらしい。

今回の「散財」のエピソードを聞いたときに、ふとその話が頭を過ぎった。
もし、当時のスタントマンたちが将来のことを考えて仕事をしていたら、最終的に行き着くのは「恐怖」ではなかったか。
「将来のためにお金を取っておこう」「いずれスタントマンは出来なくなるだろうから今のうちにビジネスを始めよう」「長生きして親孝行しよう」・・・
でも、その考えを持ってしまったらあんな危険なスタントは出来なくなっていただろう。

だからこそ、彼らは「今(当時)を生きた」。
そこにあったのは兄弟子や弟弟子たちとの信頼関係やより良い作品を作りたいという一心だけ。

結果として後の彼らが財産的に満たされたのかどうかはわからない。
でも、少なくとも「後悔はしていない」というのは本心であったように感じた。

あと、久々にマース(プロジェクトAに「大口」役で出ていたコミカル担当の俳優さん)の元気そうな姿が観れて嬉しかった。
っていうか懐かしい顔ぶれがたくさん出てきて、何だか同窓会のような気分。
でも、今ではみんな香港カンフー映画界の重鎮ばかり。
時代だね~。
久しぶりに「プロジェクトA」観よっかな。
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