平均たいらひとし

カンフースタントマン 龍虎武師の平均たいらひとしのレビュー・感想・評価

4.4
~香港カンフー活劇の栄華を支えたスタント馬鹿達の誇りと、いばらの先行き~

(長文となってしまいました。通読にあたり、ご承知おき、願います。後半、詳細な本編についての記述も御座いますが、核心は、ボカシたつもりです。)

「頭、軽そうなうえに、暴力的だから」と、足を向けない映画ファンにあっても、度量の広い方には、見聞の機会をもたらす一作として、記憶の片隅に留めて頂けたら幸い。

まず、覇権意識に固まった東アジアの大陸国家の統制下、圧力を掛けられ停滞に追い込まれた旧英国植民地の映画史が、目からすんなり入り込んで。そのうえに、思い込みが激しすぎて、現実が見えなくなって無謀な戦いに身を投じたスペインの騎士物語の如く、危険をものともしなかった熱き命知らずの映画人の熱いドラマが、談話の数々の中に伺えて、知識欲を満たし、感情を振るわせる。但し、見て、そうなるかは、個人の心持ち次第ですが。

もちろん、本作で取上げられている、1970年代から1990年代の香港活劇全盛期のカンフーものに、時代武侠劇や、現代警察ものでのアクロバティックな活劇に、ハマって、胸熱くした経験のある方であれば、必見であると、ここは断言させていただきます。

本作は、その栄光の時代を、まさに体を張って盛り立てた当時のスタントマン、監督、そして現役のスターが、当時の思い出から、良い時と停滞した時の激しい浮き沈みを経た自身の心境、境遇を包み隠さず語る談話と、それにまつわる映画本編のフッテージ映像で構成されたドキュメンタリーであります。

ビデオの普及が始まりだして、ハリウッド映画が、まだ、映画館で幅を効かせていた80年代初頭。日本国内の独立系配給会社が、良いものから粗悪なものまで現地から買い漁って、スキを狙って、幾つも劇場で上映されていて。銀幕に釘付けにさせて、今も記憶に残る「見せ場」の裏側が、何人かの関係者によって語られ、実際の場面と共に検証される中盤は、胸の内から高まりました。

初見の頃の興奮が蘇るも、見えない苦労、アクシデントに、果敢な主役自らの華麗な見せ場と思っていたのが、実は違っていて。演じなければならない本人の作品上では知り得ない、弱気な一面が、談話から浮かんで来たりもします。具体的に、見た受け売りをしたいところですが、字数をかなり費やしそうなので、泣く泣く、省略します。ともかく、当時実際に取り上げられた作品を見た方と、分かち合いたくなる事、請け合いです。

香港映画でのスタントのルーツは、中国大陸から流れて来た「京劇」の一派にあります。本編中でも、幾つかのシーンが引用される「七小福」(数々の秀作を手掛けたアレックス・ロウ監督による非アクション作ですが)の舞台となる、戯学院と称する、幼少の頃から京劇を教え込む寄宿学校の生徒らが、時代の変遷で、専用劇場の公演では食っていけず、その頃日いずる勢いの映画界へ流入したのが始まり。

運動能力が高く、「京劇」の嗜みから動作の習得力が高く表現を心得ており、撮影に於いて重宝されると共に、現地映画界も、製作本数を増して、隆盛を極めて行く訳ですが。その間、主流を占めていたカンフーものも、舞踊の流れでの鷹揚なものから、格闘的なものから、コミカルなもの。更に、カンフーに囚われず、見栄えと実演に拘ったアクロバティックな表現への移り変わりが綴られますが。思い出として、エピソードを面白可笑しく語るも、単に、苦労を知り得るだけでなく、「かっけー」だとか、「すげぇ」の感嘆だけで済ませてしまったのが、申し訳なくなって、畏敬の念もふつふつと、湧いて来る。

原題「龍虎武師」とは、更なる技量を持って更なる勇気を示す人(私的、翻訳)が転じて、スタントマンを指す様になったのだとか。一昨年のハリウッドの女性の裏方に光を当てた「スタント・ウーマン」でも、監督から振り向けられたスタントは、どれだけ危険でも断らない。危険だから、防具を滅多矢鱈と付けて臨むのは恥と、プロとしての信条を掲げていたけれど、そこは、国が違えども変わらない。

だからとは言え、ビルの8階分相当の高さから、爆破と同時に地上へのダイブだとか。けり合い叩き合いの場面で、50以上の動きを叩き込んだうえ演技したと回想するドニー・イエンさん。その流れで、対決相手の女性の演者は、ドニー兄ィの体躯が立派過ぎで、肩を掴もうとするも手が跳ね返されたとか。撮影で、わざわざ自殺行為に等しい事をせずとも。また、強い者同士の対決ならば、それ専門の競技で良いのにとも、喜んで見ていた事を棚上げで、過ってしまいますが。

当然、その背景には、少ない予算を現場のアイデアで乗り越えねばならなかった事に加え、先にあげた原題に「師」とある様に、その道の実力者が主催する、スタントチームが幾つかあって。リーダーの言う事が絶対、師の為に尽くしたい師弟関係という、東洋ならではの風潮があって。更には、「あそこのチームが、驚愕のスタントで目を惹いたとなると、ウチは、それを、上回らねば」との張り合いで、要求されるスタントの難易度が上がるのに反して、傍目では、スタントマンの身体の「重み」は、軽くなっているかの様に映る。

スタントマンを経て、顔の出せる演者として出世して、このドキュメンタリーでは、業界の「重鎮」的立場で、サモ・ハンキンポーの談話と並列される彼の班の「構成員」として、活躍していた方達の談話を併せて、実際のスタント場面を見ると、あまりの無茶ブリに、サモ師匠も、デブゴンと称される体型が醸す温和さと違った非情さを受け止めるも。当時、危険な撮影を生き抜いた彼らに、一言も苦言、恨み事は無く、(カットしても、いないと信じます。) 師匠のため、作品のため、香港映画界のため、まさに体を張った誇りが、見て取れる。

先に、詳しくは上げないと断っておきながらですが。本作で、楽しみにしていたのが、マースという方の談話でした。ジャッキー・チェンのスタントチームの一員で、代表作である「プロジェクトA」では、海上警察の筆頭頭的に、ジャッキーの脇に控える、ゴッツイ丸形のジャガイモ顔で見るからに温和そうな方と表現して、多少は判るかも。

当然、緩んで体つきも膨張した現在は、第一線を退き、スタッフとして、ワイヤーアクションの準備に勤しむ姿なども切り取られていて。昔の様に、身をすり減らす立場から退き、健在である事に安堵も覚えるも、80年代のアクション隆盛での活躍に思いを馳せると、どうしても寂しさも拭えず。

まず、マースさんの導きで、繁栄の基礎だった、映画スタジオを訪ねるのですが。会社のトレードマークが銀幕に投影される際のドラの音で馴染みのゴールデンハーベスト社に足を運ぶと、そこはもう、高層マンションに代っていて。敷地周辺に残されたコンクリート敷の階段をマースさんが登りながら、「全盛の頃だったら、この階段を使って、アクションを撮っただろうなぁ」って、独り喋る声が、そびえ立つマンション群に吸収される、寂しき風景の1ページ目。

そして、半生を総括した、マースさんが、総ては自分の決断だから恨まないと、幾つか、事柄を上げるのだけど。先に、サモハンチームの固い師弟の「絆」をあげましたが、それとは反する形で、個人名が挙がるのです。他の存命であるスターは、自ら当時を語るのですが。その方は、アーカイブ映像でしか、確認できなくて。本編を見ていると、香港の活劇が、如何に「萎んで」行ったかが、判ります。当然、検閲とか避けねばならないからかもしれないが、政治体制からの影響は、インタビューを受ける人が語らない中、報道されるあの方の言動は、「太鼓持ち」と言われても仕方がない位、体制寄りでありました。その辺の事情が、マースさんに、そう言わせたのか。サモハンチームに無い「陰」も、寂しさを醸したのです。

栄華を極めた背景には、スタントに係った人たちが、「映画」で喰って行かねばならない時代背景というのもあったし。映画の技法には、ストーリーテリングと編集が、あって。技術革新で、合成技術も進んで、命がけの撮影なんか、遠い昔の遺物となっている。それでも、時代を築いたスタントマン達は、育成の立場となって、若手の育成に取り組むも、生き方の選択が他にもある中、未来を担う若者の「情熱」頼りであるのが、心細いところですが。「昔の栄光とは行かなくとも、盛り上げたい」と、胸に灯る灯を消していない、レジェンド達の奮闘が、現実となる事を、願わずにはいられない。

拙文にお付き合い頂き、ありがとう御座いました。
シネマサンシャイン沼津 シネマ6にて