脳みそ映画記録

生きててごめんなさいの脳みそ映画記録のネタバレレビュー・内容・結末

生きててごめんなさい(2023年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

◆タイトル
 まず、タイトルのインパクトが凄いでしょ!
正直、タイトルだけで観ることを決めました。
あらすじすらろくすっぽ未知のまま観ましたが、タイトルの割には湿っぽくない内容でしたね。
 誰が誰に対して謝っているのか。恋人?親?それとも周りの人間?
 正直、自分でも生きててごめんなさいと思うことはなくはないけど、それって突き詰めると対人でなく、社会とか世界とか言ってしまえば神様みたいな概念に対して思っているのかなと思います。
 とにかく、言いたいことはタイトルの吸引力よ。


◆主演二人
 黒羽麻璃央が彼氏の修一役、穂志もえかが彼女の莉菜役です。
 黒羽麻璃央のなんとなくナチュラルに他人を見下している感じとか穂志もえかの情緒不安定な感じとかすごく良かった!!


◆ダメ人間
 本作のキーワードのひとつが"ダメ人間"。
ダメ人間ってつまりは社会の枠組みにはまれない人なのでしょう。
 莉菜はもちろんそれでしょうし、修一もはまっているようにみえて実ははまっていない人間なのでしょう。
 彼の本質は仕事をないがしろにして、夢の小説の締切にすら間に合わず、原稿は手書きでページもバラバラ、終いには恋人に当たる‥結果は何もかも中途半端。編集長の「真剣に生きている者の邪魔をするな。」「周りをみてみろ。お前は誰も幸せにしていない。」というのはぐうの音も出ないほどの真実でした。
 ですので、分かりやすいダメ人間を近くに置くことで自分の安心材料にしているのですね。
 自分がいないと生きていけないでしょ?と。甲斐甲斐しく必要以上に世話を焼くことで自分はダメでない必要な人間であると自己肯定している。
 「変われないんだよ。莉菜は。」というのは、変わってほしくないという気持ちの表れでしょう。彼女が自立してしまったら、ダメ人間である自分が目の当たりになる。それを恐れているのです。
 普通はカニを投げつける情緒の女を恋人に選ばないでしょ。明らかに社会の枠組みから逸脱している人ですよね。
 それと同時に修一は莉菜に憧れを感じていたと言う台詞もあります。彼の夢である小説家も選ばれし者がなれるもので、ある意味は社会の枠組から離脱している者の成功者です。後にエッセイストとして成功する莉菜に憧れを抱いたのは間違いではなかったのです。(まぁ、内容は彼が見下していたツイートでしたがね)

◆対比の構図
 結局根っこはダメ人間ふたりの話しだったのですが、比較の構図が結構多かったように思います。
 階段のシーンについて‥
 莉菜が修一を駅に送っていくシーンと修一が莉菜を駅に送っていくシーンに登場します。前者は修一は階段に見向きもせず通り過ぎるのに対し、莉菜が階段の先を見上げています。修一は仕事に行くと言う一つの目的があるが、莉菜は送っていくだけなので余裕があって目的はない。
 後者は莉菜が階段に見向きもせず通り過ぎようとするのに対し、修一が階段を見上げ登り始めます。ここで、二人の立場が逆転していることがわかります。
 階段も登ったあとにその先をみて「何もないんだな。」と話す修一に対して、莉菜は登ってきた階段を振り返り町を見下ろしています。ここで、意外にも過去を振り返っているのは莉菜で、すでに未来、先を見始めているのは修一なのかなと思いました。その後、莉菜は修一が「荷物持つよ。」というのを断り、荷物をしっかり自分でもって駅へ向かいます。修一からの離脱の意思表示でしょう。これが一年後にも関わっています。
 一年後。修一は夢を諦め、新しい職場で楽しそうな上、気になる人もいるという。その一方で修一の夢であった物書きとして成功している筈の莉菜は浮かない顔で、トークショーも上手く行っていなかった。一年後の居酒屋では、修一に気になる人がいるという話をきいてその場から逃げ出してしまう。未だに修一は先をみていて莉菜は過去をみているという構図が引き継がれています。
 その次の居酒屋からの踏切のシーンは冒頭と最後にあります。冒頭は「歩けますよ。」という莉菜をおんぶして修一が渡るシーン。最後は一年後の居酒屋から逃げ出したあと莉菜が修一に「この踏切を一緒に渡っていいのか?」と問いかけるシーン。
 冒頭は共依存の始まりですが、最後は結局修一がどう行動したのかは語られぬまま物語は終わります。
 個人的にはあの踏切を修一が渡ってしまったら、元の木阿弥なような気がしますが‥。あの二人は別の道を行くほうがお互いのためになるかなというのが意見です。