素潜り旬

眩暈 VERTIGOの素潜り旬のレビュー・感想・評価

眩暈 VERTIGO(2022年製作の映画)
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出町座の『眩暈 VERTIGO』へ。実はクラファンで朗読に参加させていただいた。自分の声が吉増剛造さんの声と重なって聴こえた時は不思議だった。アフタートークでは写真家の津田直さんの語りに感動してしまったので、津田さんが撮ったメカスの故郷の写真が載っているパンフレットを購入。凄すぎる。

『眩暈』というタイトルは、映画を観るまで、この作品の幻想的な部分や吉増剛造の詩を読んだ時に起こる眩暈的な感覚のことかと思えば、かなり直接的な眩暈で驚いてしまった。しかもまさかメカスの家で起こるだなんて。どれだけ霊的な人なのだ、吉増剛造は。彼の詩の書き方にも驚く。展示など見たことがあり、これはどんな風に書いているのだろうとは思っていたが、日記的な書き方なところまではある程度俺も詩人として予測ができたが、アイマスクをしたり、鉛筆を叩きつけたり、これも霊的であった。彼の語りもそうで、彼の朗読などから察するにアーティスト的な詩人かとずっと捉えてきたが、完全にイタコだった。恐ろしい。

20230917追記。シネ・ヌーヴォ。

『眩暈 VERTIGO』は3回目。それでも吉増剛造さんの言葉は、行動はずっと新鮮に届く。今日は井上春生監督と元維新派の大田さんのトーク付き。吉増さんと松本雄吉さんの言葉の置き方やカタカナの使い方が似ているような気がして…という質問をしたら、松本さんは吉増さんに結構影響を受けているとのこと!知らなかった…!大田さんはこないだ観た春秋座での、檜垣智也(作曲家)×吉増剛造(詩人)×七里圭(映画監督)『「石巻ハ、ハジメテノ、紙ノ声、……」試演』の舞台監督もされていて、あの時の吉増剛造さんの「アイマスクをしてただ歩く」というパフォーマンスが、ジョナス・メカスの家の軋む床を表現していたという話に驚き、俺のなかで全てが繋がった。誰もが吉増剛造さんが舞台上で何をするか予測不能という立ち位置にいる状況下での、考え抜かれた行動、表現に感銘を受けた。凄すぎる。俺はこの上演を観た後、
投影された石巻の映像に目隠しをして現れた吉増剛造が手をあげて挨拶するその姿、影によって上書きされた映像も相まって、吉増剛造は死んでいるようだった、というか死者の声そのものだった。まじでびっくりした。
というツイートをしたのだけれど、死者の声はジョナス・メカスの声でもあったのかもしれないと、鳥肌が立った。
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