ネノメタル

THE FOOLS 愚か者たちの歌のネノメタルのレビュー・感想・評価

THE FOOLS 愚か者たちの歌(2022年製作の映画)
4.6
1.THE FOOLSという概念
凄かった。本作は一言で言えばTHE FOOLSと言うインディーズバンドのドキュメンタリー映画なんだけれどももうバンドヒストリーのドキュメンタリーというジャンルの域を完全に超越している。
バンドの司令塔である伊藤耕が警察に何度パクられようが、いざこざあってメンバーチェンジしようが、メンバーが亡くなろうかもう何が起ころうともズダボロになろうともそのまま『アンストッパブル』の暴走機関車の如く突き進んでいく「THE FOOLS」という集合体のありのままの姿に圧倒させられる。こういうバンドはこれまでも、これからも金輪際一切現れないであろう、というよりもバンドというよりかは「現象」に立ち会うような130分間に終始釘付けだった。
バンド創世記からのメンバー・川田良はこう言う。「自分らの音楽を鳴らして、それを聴いてくれる人がいてそこにハコがあれば良い。そこに業界人はいらない。こんな事言ったら業界から干されるよ。いや、もう干されてんのか(笑)」とそう言いながらシニカルに笑い飛ばしながら放ったその言葉の中に全ての「答え」があると思う。
 それを裏付けるように、本編で甲本ヒロト(元ブルーハーツ、現クロマニヨンズ)がこのTHE FOOLSに関して「彼らは演奏レベルが物凄く上手いのはリハーサル中にわかった。だが、本番になるとアレ?てくらいグダグダになって訳わからなくなる。もう彼らの魅力と言うのはそれ(演奏技術)を超えた所にある【何か】がある。だから凄いのだ。」と定義していたが先に言ったありきたりの「バンド性」と言うものを超えた所にある現象に類したものだろうか?

2.LIVEとは何か?
別にこれはTHE FOOLSに限った話ではない。先の川田良と甲本ヒロトの言葉の中に「我々がなぜわざわざLIVEハウスにまで直接赴き音楽を共有するのか?」という全ての理由と答えが内包されていると思うのだ。我々は別に綺麗な演奏であるとか上手い演奏技術であるとか、美しいメロディーや歌声や、バンドダイナミズムを感じるためだけにLIVEに行く訳ではないのだ。
それだったら単に音源だけを家で聞いていればいい話だし、さらに超えた「何か」「現象」を体感するためにLIVEに行くのだとう。
本作は、こうした音楽を主体としたドキュメンタリー映画にしてもライブシーンの割合が非常に多いと思うがそうした場面に出くわす度にワクワクし、ゾクゾクするのだ。そして何かが始まる予感すらするのである。まさにそれが彼らがステージでオーディエンスとそういう感情を共有しようと試みていたのではないのかなと思う。そう考えれば、確かにそこに業界人はいらないし、きれいな演奏も高度な演奏技術もいらない。
そこに共有できる「何か」があれば良いのだ。
あと、本作は3年前に同じくナナゲイ、あと元町映画館にて鑑賞した彼よりも少し先輩にあたる伝説のパンクバンド、頭脳警察のドキュメンタリー映画 『zk頭脳警察50未来への鼓動 』をどうしても彷彿とさせるものだ。
あの作品の中でバンドの司令塔であるPANTAは「私にとってのバンドとは“発火装置”であり、TOSHIという起爆剤が必要だ。私と彼とは一生離れになれない“腐れ縁”である」みたいな事を言ってたが川田良にとっての伊藤耕という存在に近しいの関係性があるように思う。あと、第七藝術劇場における音響ってか音の迫力がとても素晴らしくてかなり爆音気味でそれがすごくTHE FOOLSというバンドのあり方というか、実際に彼らのLIVEを体感することのなかった私にとってはとても有り難かった。
いや、これが割と、映画館によってはたとえ音楽映画であっても、音量が非常にちっちゃかったりする所があるので音量や音質に拘りのある映画館で観る事をお勧めしたいと思う。
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