荻昌弘の映画評論

非情の町の荻昌弘の映画評論のネタバレレビュー・内容・結末

非情の町(1961年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 アメリカ映画に珍しく、冷やかな感触と“からい”後味をもった黒白映画である。人生の恥しさを知りそめた十六才のドイツ少女が、米兵たちに犯される。
 先ず肝心なのは、このない被害者のショックを鎮め、心と身体の傷をいやして、彼女の名誉を守ってやることであったはずなのにーー彼女のまわりの大人たちは決してそうではなかった、という物語である。
 単にアメリカとドイツの微妙な国際問題をとりあげた、という点だけではなく、この大人たちの扱い方において、これはまさにアメリカでも独立プロでなければできなかった作品だ、と思う。
 マンフレート・グレゴール(ドイツ映画「橋」の原作者である)の小説から、ゴットフリート・ラインハルトが演出して、この“周囲の大人たち”の種々相は、なかなかするどく描き分けられている。
 被害者の父親は、娘が傷ものにされたという事実に眼がくらんで、彼女をさらし者にしてまでも犯人の処刑を叫びつづける。心底には、占領米軍に対するドイツ人の、ひそかな復讐欲もあったのかもしれない。司令官や軍法会議の検事、陪審官たちは、とりあえず米軍自体の面子と深白を表明したいがために、犯人を死刑で殺そうとする。雑兵など死んでも祖国の名誉さえ救われればいいのだ、と。そして被告の弁護将校カーク・ダグラスは、そのような政治的思惑をはねのけて法の正義だけを尊重しようとしたあまり、逆に、少女を自殺にまでも追いやるほどの屈辱感へ叩きこんでやまないのである。こういう、とめどもない執念の男を演じさせるときのカーク・ダグラスの不気味さ、アメリカ映画独得の法廷劇作法の熟練で、特に後半の軍法会議部分は、極め冴えた迫力がうまれている。
 ただ残念なのは、多少劇の重心が、この弁護士将校個人に傾きすぎた点である。そのため、“法律の鬼”となった男の悲劇感はよく出たが、私たちとして一番ききたい“占領者の反省”といった面は、とくに終段、映画からスッポリ脱け落ちた形になった。もう一息、アメリカの製作者に勇気があったら、と惜しまれるのである。
『映画ストーリー 11(4)(128)』