ぺむぺる

ドラえもん のび太のパラレル西遊記のぺむぺるのレビュー・感想・評価

3.0
ドラ映画第9作。原作者の存命中に唯一原作漫画の描かれなかった作品、言ってみれば「映画オリジナル」なわけだが、他の原作つきドラ映画と比べても特段見劣る点はなく、かえってすっきりまとまったストーリーラインやいくつかの映画的見せ場のある展開が、映画発ならではのこなれた印象を与える佳作である。

しいて言えば、やや奥行きに乏しく、メッセージ性は皆無であり、大人はおろか少しませたお子さまたちには幾分もの足りないかもしれない、というところが原作なしによる欠点か。しかし、そうした背伸びしないドラえもんだからこそ、容易に等身大の面白さを見出すことができるわけで、見るべき時期に見れば相当な傑作と映るに違いない。私見ではあるが、“思い出補正”のもっともかかりやすい作品のひとつではないかと思われる。

本作のクオリティを担保するのが、ベースとなっている「西遊記」の知名度と面白さ、ちょうど良い塩梅のエキゾチック感である。これ以前のドラ映画をみれば、「宇宙開拓史」における西部劇、「宇宙小戦争」における宇宙戦争モノのように、物語に物語を取り込んだ例はあったが、特定の作品をメタ的に取り入れたのは初めてで、それによって生まれるドライブ感は前に挙げた2作品の追随を許さない。

加えて、容易に世界観を広げられるタイムスリップネタや、ヒーローマシンのイレギュラーな使い方による現実改変(パラレル)ネタがうまい具合に物語をひっぱっており、タイトルのとおり一味違った「西遊記」を楽しめるという点で、子どもたちの知的好奇心をくすぐること請け合いの作品だ。

本作におけるアイデアの中でもっとも秀逸なのが、「テレビゲームの世界で遊ぶ」設定だろう。任天堂ファミコンの誕生が子どもたちの娯楽にディープインパクトを与えた当時の状況を考えれば、ゲームに材をとること自体なんの不思議もないが、その中で生身の人間がプレイするというVRに近い発想を形にするあたり、妙に現実的な先見の明が光る。これはもしかしたら、F先生以外の人物がものした脚本であることの賜物かもしれない。しかも、そのヒーローマシンから溢れ出た妖怪が現実世界をも侵食していくという、ある意味〈二重の仮想現実〉は21世紀においてすら進んだ世界の描き方といえよう。

こうした“ほんとであってほんとでない”少しズレた世界はそれだけで恐怖の対象になりうるが、それが〈悪〉に支配された世界ならなおさらのこと。まったくの異世界ではなく、いつもの日常がほんのちょっと暗い・怖い・気味が悪い。このあたりのホラー演出は、前のめりにさえ見ていればかなりの恐怖度である。とりわけ〈親が怖い〉シーンは、子どもにとって一番のよりどころを失うものでもあり、すさまじい絶望感がある。本作における私的白眉もまさにここで、のび太の部屋に続く階段をママが一歩一歩上がってくる場面。足元を映すカメラワークの見せる/見せないの塩梅や、繰り返される単調なリズムが醸し出す一瞬が永遠に感じられる恐怖は、シンプルながら洗練されたアニメならではのホラー演出である(この絶望がEDの多幸感につながる仕掛けもうまい!)。

惜しむらくは、こうした前〜中盤の印象的なシーンに比べ、後半の展開が尻すぼみがちで、ややもすると御都合主義に見えてしまうことだろう。良くも悪くも「西遊記」にのっとった話であるため、ある意味予想どおりの結末に落ち着いてしまう。しかもそれは中盤以前に大きく尺を割いたためか、かなり駆け足に感じられるのも難ありだ。また、擬似西遊記の中で活躍するのは孫悟空=のび太のみで、猪八戒=ジャイアン・沙悟浄=スネ夫・三蔵法師=しずかちゃんの活躍が薄い点も個人的には不満が残る。とはいえ、起死回生の一幕は(一瞬の出来事ではあるが)映像的に迫力のあるもので、そのヒントも物語の早い段階で示されており、一定のカタルシスを与えてくれる。

物語の発端からして“ドラえもんの完全な過失”で始まる本作は粗を探せばキリがなく、「3人の危険が危ない」といった首をかしげたくなるような言い回しをはじめ〈大人目線〉からすると許容しえない雑さもあるが、一度〈子ども目線〉に転じてみればワクワクドキドキの宝庫である。そうした純粋な映画の見方を、願わくば一生持ち続けていきたいものだと思うのだが…なかなか難しいだろうなぁ。
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