シシオリシンシ

ゴジラ-1.0のシシオリシンシのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
3.9
シン・ゴジラより約7年ぶりの国産特撮ゴジラがついに公開。監督は日本VFX界のトップランナー・山崎貴監督。
シン・ゴジラ後という課せられた高きハードルと山崎監督のフィルモグラフィーの良し悪しから、公開前から期待と不安で溢れていたゴジラファンも多くいたことだろう。私もその一人で、この国産特撮ゴジラ復活という祭りに当日朝イチの上映に馳せ参じた。

まず、特撮・VFXパートは流石の一言。そこは山崎貴の独壇場でありゴジラの造形や質感、ギミックとも新しさとお馴染みさを両立させたモデリングのゴジラだった。そのゴジラが銀座の町を蹂躙しメガトン級の熱線で都市を焼き尽くす様は絶望観を画としてしっかり伝えられていたと思う。
特に海のパートは山崎監督が最も力を入れたと豪語するだけあり安っぽさを感じさせない自然な質感でゴジラと海と白波のコントラストが見事に映えていた。最終決戦のフィールドに海を選択したのもVFXの名手だからこそできる大胆で斬新な選択であり、さながら『バトルシップ』のような敗者たちのリベンジ劇を連想させていて演出としては燃えるところ。
監督の癖であろう昭和初期の町並みや大戦後の艦艇をはじめとした兵器郡、満を持して登場した震電など、得意分野においてその知見を遺憾なく発揮していたと素人目にも感じられて良かった。(ゴジラVS震電が監督の一番やりたかったことじゃないかな?)

しかし、怪獣パートがあまりに少ない、少なすぎる。ドラマパートと特撮パートの比率は体感7:3、下手すると8:2くらいの割合なので怪獣映画として見ると結構落胆するほどの尺の割り振りだ。

しかも今回のゴジラはメタファーとして背負ってる背景が弱いので、ただのモンスター映画になってしまった感が否めない。(ビジュアルや設定こそGMKゴジラに近いが、本作の野性動物的な生物感に一番近いのはエメゴジだろう)
初代をはじめとした多くのゴジラは「核の申し子」、シン・ゴジラは「震災や原発のメタファー」という観客(特に日本人)には今日にも重く響くテーマと畏敬をその身に称えていた。だが今回のゴジラは主人公・敷島にとっての「終わらない戦争のメタファー」という、ごく個人的でミクロな問題の象徴として描かれていたのは私的なゴジラ観として解釈違いという感じ。

そもそもゴジラ映画なのにゴジラが主役どころか舞台装置にまで押しやられ、さして面白くもない元特攻兵の主人公・敷島のドラマを延々と見せ続けられるのは正直「いい加減にしろよ」と言いたくてたまらなかった。観客の大半はゴジラを観に来たのであって神木隆之介を観に来たかったわけではないのだ。(神木さん個人は好きです)

また主人公を敷島の視点で絞ることで戦後すぐにゴジラという国難が日本を襲ったというスペクタクルな事件が矮小化され個人の因縁の話にフォーカスが絞られたのは完全に悪手である。
もっと群像劇然とした多数の人物が必死で尽力する様を丹念に描いていれば退屈なドラマパートをいくらかマシになっただろうに、役者陣は皆熱演していただけに非常にもったいない。

致命的な欠点がドラマや演技のディレクションがとにかく野暮ったい。悪い意味で邦画的で冗長な人間ドラマが目立っていた。この国に住まうものがゴジラという未曾有の脅威を前にして一致団結し立ち向かわなければならない時にやいのやいのと文句を言う輩や足を引っ張ろうとする味方がいるのは見ていてまあまあストレスがたまる。それと覚悟を決めた最終決戦の時にもゴジラの熱線にビビって「撤退しましょう!」とか言い始めるヤツが出る始末。こういったステレオタイプな無能や士気を下げる連中を出したのは邦画の悪癖以外の何者でもない。分かりやすさを重視したのだろうが、そういう演技はとたんに映画が安っぽくなるから止めてほしい。

本作のラストでは明確にゴジラの敗北と死が描かれていたが、最後の最後で復活の兆しを見せたのは最低限ゴジラとしての面目を保ったと思える。(まんまGMKなのはちょっとどうかと思うが)
シリーズ化するつもりならば今度こそゴジラを主役に据えた上でドラマを作ってくれと思えてならない。

国産の特撮ゴジラが作られたことにこそ意義がある。それはそうなのだし、長いゴジラ映画という歴史のなかでこういうのもアリなのでは?と問われたら「アリだね」頷くけれども、評価としてはどれだけ甘めに点をつけても80点はあげられない。私にとって本作はそんなゴジラ映画という印象になった。

追記
ラストシーンの典子の首筋にあった黒いシミってG細胞? G細胞の再生能力で典子が助かったってこと?
だとしたらエグいぞ山崎貴。エグい続編待ってるぞ。


追記2
4DX2Dにて二回目観賞。
ゴジラ登場シーンの臨場感が4Dの演出効果で増強され、まさに『ゴジラ・ザ・ライド』と言うに相応しい劇場体験だった。ここは◎。

ゴジラのデザインも良い意味で最大公約数的な多くの人が納得する造形であり、実に素晴らしい。このゴジラは今後のゴジラのスタンダードになれるキャッチーさを秘めていると再確認。
それだけに今回のヒール的な役回りが似合っておらず(ベースが平成VS的なので)、デザインにたいしての役回りにミスマッチさを感じたのは否めない。
今作のゴジラデザインは怪獣同士と戦わせて寄り輝くデザインだと強く思った。

二回目ということでハードルを下げに下げたドラマパートだが、やはり私には感性が合わなかった。
一回目では敷島(神木くん)のオーバーな演技が引っ掛かったが、二回目では典子(浜辺さん)の叫びや過剰に感情を盛る演技に引っ掛かる。敷島と典子が強い口調で台詞の応酬をするものだから、私には正視に耐えずこの辺りのシーンはシリアスな笑いとして処理しなければ楽しめない結果に。

あとはモブの演技がうるさい。声が大きいという意味ではなく一挙手一投足がわざとらしすぎて作品のリアリティラインを大幅に下げている。こういう人物ディテールは作り物感を悟らせてしまう要因にもなるので、技術やVFX以外にも世界観づくりの一因として注力してほしいポイントである。

好きになれたポイントは秋津(佐々木蔵之介)と野田(吉岡秀隆)の年長者コンビが映画のカラーに合ってて良きだったところ。
秋津の過剰すぎる昭和のオヤジ演技は5周まわってアリ。徹底的にデフォルメされた演技がハマっていた好演だったと思う。
野田はそもそも私が『Dr.コトー診療所』が大好きなため、吉岡さんの良い意味で変わらない演技に安心感を覚えてこの映画の清涼剤になっていた。

つまるところ言いたいことは「ゴジラパートをもっと増やせ!」ということに尽きる。
むろん今作の大ヒットはゴジラファンとして歓迎すべきことではあるし、日本の怪獣コンテンツが世界にも通用すると証明されたのは喜びに値するが、次作以降もこのフォーマットを踏襲するのはやめてほしいというのが私の本音。
ゴジラ映画とはゴジラが中心にあってこそゴジラ映画であるというのが私のゴジラ映画観なので、今度は舞台装置ではなくゴジラを存分に掘り下げた続編を強く強く期待したい。
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