ゆずっきーに

ゴジラ-1.0のゆずっきーにのネタバレレビュー・内容・結末

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

縁あってエキストラ撮影に参加した今作、ちゃんと作中世界yuzucchiniが熱線蒸発していて胸が熱くなった(本当に!)。
いやVFX凄まじすぎ。
ゴジラのFPS視点から銀座の地平に放たれる放射熱線、食いちぎられる高雄、機雷の連鎖爆破、。大きな画角の臨場感はさることながら細部に蠢く生体の気持ち悪さにもゾクゾクしっぱなしだった。ラストのさあ、浸潤される首筋!キッショ(褒めてる)!銀幕越しに生臭さすら漂ってくる、ねっちょりしたあの質感!こういうのを見に来たんだよ本当にありがとうございます、、、
つくづく山崎貴は視覚を介して作中人物と鑑賞者との感情を同期させる天才やなと実感。かたや台詞回しは相変わらず、皆唐突に腹から声張り出してくる(婉曲表現)のだけれど、芸風のえぐみはずいぶん緩和されてたような。
敷島はじめ帰還兵たちの希死念慮・死に場所に飢えて生の現実からは不健全に遊離した静かな錯乱。主要人物狂気が前提︎︎👍🏻なおかげで、オーバーな情緒表現から感じ取られる違和が薄まってたように思う。


作品総論をば。

今作のゴジラは死の福音を撒き散らす魔性の救世主に映った。ワダツミ作戦が『きけわだつみのこえ 』を踏まえているのは明らかで、ゴジラ沈降プランも救済としての死=ゴジラ を 死界=海底へ「お返しする」神事のように映った。
あれ水島と橘の漢気の片方でも欠ければ最後どうなってたんスかね...?たぶん全滅エンドor敷島以外全滅だった気が。艦長の「敷島、一人でヤケを起こすな」はあれ、やっかみの類では。お前だけがゴジラの"福音"を貪るな、我々にだって死ぬ権利はあるのだぞ、と。

敷島擬似familyの、終盤をのぞいてどうにも拭われぬロールプレイング感も意図した演出と受け止めた。「もう終わりにしたい。"もう一度"生きたい」の前後台詞の噛み合わなさが秀逸。はじめはうたかたの生に嫌気を抱いてる風にも読めるが、脱出ボタンの種明かしを経ると、「ああ役割から逃げた禊を払って死の誘惑と決別したいのね!」ってなる。

総じて、未来との連帯(水島)と過去からの赦し(橘)をもって希死念慮マンが主体的生(典子)を取り戻すまでの物語、と受け取った。イイハナシダナー…ではしかし終わらせぬおぞましいラストシーンにドラ○エユアストーリーみを勝手に感じ取っておく。


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エンドロールに流れるスタッフさんのお名前一人一人をしかと目で追いかけてました。
ああこれは一緒に炊き出しの豚汁囲ってくれたあの人だろうなとか、これは衣装のイヤリング見繕ってくれた人だよなとか、このヘアメイクさんのありえん手際の良さと矜恃がめっちゃカッコよかったなとかとか...
撮影現場の、あの配慮と寛容さにみちた優しい空気が、物語の(一応の)救いある結末と被さるようでもありました。製作に携わったすべてのプロフェッショナルに心からの敬意を送ります。
生涯の思い出に刻まれる作品をありがとうございました。
ゆずっきーに

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