かじドゥンドゥン

ゴジラ-1.0のかじドゥンドゥンのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
3.5
太平洋戦争末期の日本。特攻隊のパイロットに選ばれながら、戦闘機の故障を言い訳に、島の中継基地に着陸したシキシマは、そこで怪物ゴジラに遭遇する。そして、彼がゴジラに対して機関銃の発射を躊躇したがゆえに、多くの整備員の命が失われた。

敗戦後、罪の意識を背負って東京に帰還したシキシマは、血の繋がっていない孤児アキコを育てる女ノリコと出会うと、彼女に同情し、家に置いてやる。そして、米軍が投下した不発弾の撤去作業で身を立て、ノリコとは夫婦同然の生活を送るようになるが、彼の中ではまだ「戦争が終わっていない」ため、結婚には踏み切れず、曖昧な関係が続いていた。

やがて、巨大化したゴジラの再来。銀座が破壊される。元海軍兵が召集され、決死のゴジラ撃退作戦が敢行されるも、失敗。奥の手として、シキシマが爆弾を搭載した戦闘機でゴジラの口の中に突進して、どうにか撃退。シキシマは、脱出装置を利用して、無事帰還。特攻隊として死にそびれた負い目を、生きて帰ることで見事清算したのだった。

人々が命を軽んじすぎた件の戦争に対し、現代の価値観から批判的な註をつけた、一種の戦争映画というべきか。その命題は、「生きるべし」。ストーリーとしてはいささかベタな感はあったが、ゴジラが「ちゃんと怖い」ので、楽しんで観ることができた。特に、海上で対峙するゴジラは、恐ろしさが倍増する。ゴジラが何物であるかについてはほとんど分析も言及もされず、ゴジラはあくまでも、戦中日本の価値観・生命観に問題提起するためのきっかけとして利用されている。

脚本(セリフ)がいまいちか。戦後日本という時空間ではとうていあり得なかったような、上品で気取った言葉が交わされる。舞台を戦後に設定する必然性があっただけに、それなら当時の民衆が交わしたであろう生々しい声・ことばを調査すべきだった。