しおまめ

ゴジラ-1.0のしおまめのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
3.5
70年という歴史の中で、ゴジラというキャラクターには様々な“色”が付いた。
ひとつは怪獣王としての色。
もうひとつは核の象徴としての色。
あるいは全知全能の、自然そのものを表したような色。
だが1954年のスタート以来、ゴジラというキャラクターには必ずコンテンツとしてビジネス的な部分がつきまとい、それらの色は消費社会の中でいいように扱われた。
今作の「−1.0」は、それまで棚に上げられていたゴジラのセンシティブな部分を中心にした、初代ゴジラに近い映画だった。


近年のゴジラ映画はハリウッド版も含めてゴジラという存在を神にも等しい存在と讃え、ヒロイックに見せることに重きを置いていた。
「シン・ゴジラ」という例外も存在するが、どちらかと言えば庵野秀明監督によるゴジラ作品の特徴のみを表現してみせたもので、思想的な意味合いは感じられなかったのが個人的な感想。
ゴジラを人類の敵、絶望の象徴として描いてみせたのは、ポリゴンピクチャーズが手掛けたアニメ版ゴジラ「GODZILLA 怪獣惑星」が近かったが、様々な問題もあり、ゴジラが持つ暗い象徴を十二分に発揮していたとは言えなかった。

今回の「−1.0」は、80年前、日本人に襲いかかるどうしようもない、見たくもない“悪夢”としてのゴジラだった。
主人公の敷島の境遇からなる複雑な思いを起点に、ゴジラと相対する日本人の姿は、ゴジラを戦時中の日本人から見た敵、すなわちアメリカそのものに見立てる事ができ、
それは当時の日本人が悲願した究極的な理想。日本の勝利という夢である。
ゴジラが放つ熱線の描写やその回数。そのゴジラに仲間や家族を奪われた者たちの怒り。
終盤に登場する兵器。そして物語の結末をもって、
この映画は愚直なまでに当時の日本人が望んだ夢物語を敷島というキャラクターに託して描いている。
強いて言えば「シン・ゴジラ」のキャッチコピー“現実 vs 虚構”に近いかもしれないが、ゴジラ映画のお約束とも言うべきゴジラの生死については、この映画の中では重要な意味を持つ。
所詮は“夢物語”でしかないと。


山崎貴監督作品と聞くとネガティブなイメージが付きまとう。
ドラクエの映画しかり、ドラえもんしかり。
しかしながら史実を題材にした「アルキメデスの大戦」が戦時中の日本のイメージからあまり逸脱しないものになっていたところを見るに、歴史物、特に80年前の世界大戦時の日本に関しては慎重に描こうとしているきらいがある。
今作はゴジラが抱えているネガティブな部分を包み隠さずに描いた事で、間違いなくゴジラ映画における歴史の重要な一作になった。
しかしながら、山崎貴監督の作風とも言うべきデフォルメされたキャラクターやクドいぐらいの演出や台詞回しは、映画そのものの欠点として見過ごせるものではなかった。
無用な台詞が全編にわたり、誇張された役者の演技はドラマ部分に大きな亀裂を入れ、2時間という上映時間に腹が立ってくるほど無様な役者たちの演技を見せられた。
ゴジラでなかったら「大怪獣のあとしまつ」に近いほどの不平不満が生まれていてもおかしくなかっただろうなと思えるほど。

また、今回の中で一瞬だけ映される米軍による核実験(クロスロード作戦)や、ゴジラの熱線の発射シークエンスなどが、2014年のギャレスエドワーズ監督による「GODZILLA」、
レジェンダリーによるモンスターバースを意識したもののように見受けられ、
日本産であるゴジラが、この期に及んでハリウッド版の前日譚的な扱いで純正ゴジラを作ることに、些か気持ち悪さを感じた。
しおまめ

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