アキヒロ

ゴジラ-1.0のアキヒロのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
4.2
素晴らしかったです。

最初、大戸島にゴジラが"恐竜のような前傾姿勢"で現れたときは
ものすごく不安になりましたが、
(ゴジラは直立姿勢という伝統がありますが、今回は遊泳時に前傾姿勢を取っていたことから、生物学的な見地を優先したのだと思いました)
最後まで見ると、山崎監督はちゃんとゴジラ分かってました!

まず、今回のゴジラは初代ゴジラと同じく、「戦死者の慰霊」が化身になっているということ。
それは1945年という時代設定からも、ゴジラの皮膚がウロコではなくケロイド状の火傷痕で覆われていることからも、「特攻で死んだ者たちの慰霊」が集合してゴジラという怪獣になったことが伺えます。

最後、ゴジラが破壊された時、乗組員が「ゴジラに向かって敬礼」していましたね。
あれば、特攻で死んだ慰霊に対して敬礼したわけです。
空から差し掛かる光も「成仏してくれ」という思いが読み取れました。

しかし、今回はそれに「もう一つ新しい要素」が加わっていました。

①なぜゴジラは大戸島で初めて現れたのか?
②なぜゴジラは常に敷島(神木隆之介)がいる所に現れるのか?
③なぜゴジラは攻撃を受けてもすぐ再生してしまうのか?
④なぜゴジラは駆逐艦の砲撃より、小型戦闘機の特攻で受けたダメージで倒れたのか?
⑤なぜゴジラは最後死ななかったのか?

①〜⑤の謎を踏まえると、
今回のゴジラは「敷島の特攻への恐怖が実体化した怪物だった」ことが分かります。

冒頭、大戸島で敷島は特攻できずに逃げ帰ってきました。
それを整備士に悟られ、自分の弱虫さを責めさいなんでいたところへゴジラが現れました。
つまり、ゴジラは「敷島の頭の中で、特攻で死んだ仲間たちが自分に対して怒りを覚えて襲いかかってくる」という恐怖が実体化し、大戸島に現れたわけです。
だからこそ、敷島は「ゴジラが自分を襲いかかってくる夢」を見続けたわけですね。
(それこそが「まだ終わっていない"敷島の戦争"でした)

なぜゴジラは「わだつみ作戦」で、小さな戦闘機一つに誘導されて海に舞い戻ったのか?
それは戦闘機に敷島が乗っていたからでしょう。
ゴジラは「敷島が特攻できなかったことに怒りを覚える元同胞たち」なので、敷島を追ってきます。

なぜゴジラは再生してしまうのか?
なぜゴジラは敷島を襲ってくるのに、敷島を殺せないのか?
それは、敷島が頭の中で創りだした怪物であるため、「敷島が死なない限り、ゴジラも死なない」という構造になっているからだと思います。
逆を言うと「敷島が死んでしまうと、ゴジラが消えてしまう」ため、ゴジラはすんでのところで、いつも敷島を殺せないでいるんだと思います。

くしくも、典子(浜辺美波)が途中、敷島をかばって爆風に巻き込まれてしまいますが、もしあの時、敷島が死んでいればゴジラも消えていた可能性すらあります。
最後、ゴジラが再び再生し始めたのも、敷島がまだ生きているからでしょう。
「俺らは特攻で死んだのに、お前はまだのうのうと生きるのか?」というわけです。
この"闇"の部分が、本作の一番面白い部分でもありました。

敷島が、典子という女性を匿いながら「なぜ子を作らないのか?」という答えもそこにあると思いました。
つまり、「ゴジラは敷島から生まれたもの」であり、それは「ゴジラは敷島の子供」だと言うこともできるからです。
そう考えると、敷島は最後、死ななかったことで「元同胞も我が子(ゴジラ)」をも裏切った形となり、それはゴジラも死んで成仏できないでしょう。

他にもSF設定としても、熱線を吐いた後に、爆風が吹きましたが、その後「爆心地が真空になって逆風が吹いていた」描写もリアルでしたし、
「わだつみ作戦」も、オキシジェン・デストロイヤーによって海中で死んだ初代ゴジラを彷彿とさせ、とても粋な設定だと思いました。
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