アオヤギケンジ

ゴジラ-1.0のアオヤギケンジのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
4.0
戦後の日本をゴジラが蹂躙する映画。長文です。
問題は、典子(浜辺美波)は本当に浩一(神木隆之介)と結婚しようと思っていたのかと言うことだ。
本作で典子は戦争で家族を亡くしており、戦争孤児であるアキコを連れて浩一の家、というにはかろうじて屋根があるだけと言うような掘立小屋に転がり込む。一方で浩一は特攻兵であるが、途中で逃げ出し、生き残ってしまった(と本人は思っている)青年である。浩一は逃げた先の島でゴジラに遭遇しており、それがトラウマとなっている。
ゴジラの遭遇からも運良く生き残った浩一は実家に帰るが、そこは焼け野原で、かろうじて掘立小屋のような家が残っているだけだった。その掘立小屋に典子が転がり込むのである。人との関りを極力避けていた浩一は典子とアキコを最初は受け入れないが、典子は強引に居座り、やがて家族のような存在になっていく。
ここで最初の問題に戻る。典子は浩一との関係をどう考えていたのか、という話である。隣に住む澄子(安藤サクラ)は浩一に暗に一緒になることを典子は望んでいるようなことを仄めかすが、それは澄子の思い込みであって、本当のところはわからない。結婚しようと思っていたにしては典子は浩一との身体的接触をかなり強く拒んでいたし、何よりそれなりの経済的安定があるのにもかかわらず、自立をしたいと言って働き始めることになる。すぐに就職が決まっているような描き方からして、典子はかなり優秀な人間である。戦争によって生きるか死ぬかの状態になったためにやむを得ず浩一の家に転がり込みはしたものの、本来は戦時の中での女性と言う立場にあっても自立する心を持った強い人間だったように思う。浩一に関しても、感謝はしている。しかし一緒になりたいと言う思い、つまり恋心や家族と思う気持ちはなかったのではないか。
とすると、この物語は非常に切ない物語になる。なぜなら浩一は典子とアキコのために死んでも良いとすら思うからだ。特攻できなかったという悔恨ももちろんあるだろう。だが典子とアキコを守るためなら死んでも良いと、浩一は終盤で確実にそういう思いを抱いていたのだ。しかし肝心の典子の気持ちはよくわからない。もっと言うとアキコもあまり浩一に懐いていないように思う。だがその理由もわからないでもない。浩一はトラウマだから仕方ないとはしても自分のことを周りにあまり話さないし、かと思えば非常に強気な性格で、高圧的になることもある。謎な男ではあるがそれはミステリアスというわけではなく、本当にどんな人間なのかよくわからないのだ。だから怖い。自分は最後の最後まで浩一のことが怖かったし、周りの人間も怖かったのではないかと思う。
思うに、浩一の人物像がブレてしまっているのではないだろうか。そもそも戦闘行為が怖い人間なのか、死ぬのが怖い人間なのかがよくわからない。だから最後に非常に重要になって来るテーマ、死んで周りの人間を守ることが美学なのか、生きて周りの人間を守ることが美学なのか、どちらを選択しているのかよくわからない。映画自体では生きて守ることが美学であると表したいはずなのに、主人公の浩一は本当のところどちらを選択したかったのかがいまいちピンと来ない。
つまりよくわからない映画に、最終的にはなっていたのではないかと言うことだ。浩一の守ろうとした典子とアキコはそんな気遣いは要らないと思っていたかもしれず、浩一は浩一で死ぬ気でいるのかどうかもよくわからない。だが結果的にまあ良かったと、そのような着地点なのだ。この緩やかな着地点が良かったのかどうかはよくわからない。
今作はゴジラの絶望感は確かに描けていたし、震災から戦争へと対象を変える時代設定も功を奏していたと思う。だからなのだ。だから浩一と典子はどういう気持ちであの日々を過ごし、これからどのような未来を思い描いたのか、そのことが非常に気になる映画になってしまったように思う。