みち

ゴジラ-1.0のみちのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
3.7
ゴジラを観に行って、ゴジラが良かった。

冒頭のゴジラ登場は、ジュラシック・パークのTレックスを全身強化したような。ビジュアルは文句なしだった。自分が爆弾を撃たなかったから整備士たちが死んでしまったのだ、という主人公の苦しみを作るのはわかるけど、それ以上に強く主人公を縛りつけるはずの「特攻の生き残り」の描き方が弱くて、自分以外の人々の悲しみが典子と澄子の家族のことくらいしか言及されないこともあって、いまいち敷島の罪悪感に追いつけなかった。

自分で何かを決断し責任を持つということに弱くて、流されて受け入れて生きている敷島。そこに典子と赤ん坊が入り込む流れは良くて、登場したばかりの典子はなんだか新しい浜辺美波を見られるような予感をさせた。

二人があっさりと夫婦になってしまうほうがリアルだったかもしれないが、一緒にならないまま同じ屋根の下に生きるところは「戦後の混乱の中でこんなこともあったかもしれない」と思わせたし、恋愛ものに落とさなかったのは好感。ただ、二人の間に「出会う」「住み込む」「苦しみを打ち明ける」「自立宣言」くらいの断片的なエピソードしかなくて、助け合ったり、ぶつかったり、そういう仲を深めるシーンがなかったのは物足りない。

それから女性二人に個性があまりないというか、口では色々言うけど結局母親な澄子、母親像と戦後の女性の自立をなぞった典子、どちらも「日本の女性ってこう描いておけばいいよね」な感があった。このタイプの映画でそこは期待するべきではないのか。

木造船で出会った三人、艇長と小僧と学者は好きだった。なんて豪華な船員。誰かが貧乏籤引かなきゃなんねえ、なんてかっこよかった艇長が次の瞬間「こりゃ無理」ってなるところとか、絶望的なところで現れる高雄とか、直後にさらなる絶望、とか、この辺りの展開もいい。

銀座崩壊、国会議事堂と戦車たちの秒殺、迫力は素晴らしかったが、人々、立ち止まり過ぎ、あまりに逃げない。典子の自己犠牲については、「え、一緒にあの隙間に飛び込むのでは?」と思ってしまい、あの形でなければ敷島を救えなかった、とわかる演出が欲しかった。

それから民間の討伐隊。集まって説明が始まると参加者たちから文句がいろいろ出てきたが、これも「え、君たち望んで集まったのではないの……?」と思ったが、どうだったのか。理科の授業が始まって、学者の「どうなると思いますか」に素直に答える不良生徒な感じはコメディだった。

そしてわだつみ作戦。大きな舞台を使って、馬鹿馬鹿しいくらいシンプルなことをする、というのは怪獣映画の作戦シーンの醍醐味なんだろう。ぐるりとロープで囲んで沈めたら、今度は風船で引き上げて、最終的にみんなで引っ張り上げる。小僧の「みんなで助けに来たぞ!」の無理矢理感、みんなで死ねばなんとかなるみたいな精神論、敬礼は崇高でかっこいいというイメージ、どれも正直好みではないけれど、敷島を筆頭に死に場所を探す生き残りたちに、整備士の生き残りが「それでも生きろ」と叫ぶような、最後の展開があったから救われた。

が、典子が生きていたことも相まって「実はみんな生きてたからハッピーエンド」、みたいな印象だったので、ずっと特攻兵の戦闘機を整備しては死に向かわせていた整備士が、仲間をすべて失って、最後に「生きて帰るための」戦闘機を整備する、という本作最大のドラマをもっと印象づけて欲しかった。
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