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ゴジラ-1.0のSQURのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
4.0
本作におけるゴジラは、黒くてゴツゴツしたボディに、青白く光る背、熱線と非常にかっこよく実在感としても申し分ないが、同時に中身の詰まっていないハリボテのようだとも感じさせる。

ゴジラすげー! もっとやれ!
となるのは最初の日本上陸シーンのみで、それ以降はゴジラに感情移入しにくくなる。

というのも、本作におけるゴジラは「怒り」や「犠牲」の象徴ではないからだ。
本作におけるゴジラは、「終わっていない戦争」の象徴とされる。
しかし、ゴジラ自体が「終わっていない戦争」性を内包しているわけではない。
象徴は、戦争に執着し続ける者、つまり戦争で死ねなかった者によって、ゴジラに仮託される。
なぜ仮託されるのかと言えば、それは愛国精神が本質的に矛盾を抱えているからであり、その矛盾を解消するための対象としてゴジラが選ばれたに過ぎない。
この映画においてゴジラはただ偶然そこにいただけで、ゴジラであることは重要視されていない。
愛国精神の矛盾は、この映画のそこかしこに現れる。その基本構造は、「半径1mの人間の生活を守りたい」という個人の体験に基づいた直観的な欲求が、社会という中間項を挟まずに、「国防」という巨大な構造に回収されてしまうことにある。その矛盾構造によって、本来は1人の人間が抱えるべきでない「敗戦」という巨大な責任を、一人一人が抱え込んでしまう。身近な人を守るために戦うのであれば、特攻という選択肢は生じない。自分の死が必ずその人の生活を破壊してしまうからだ。しかし、個人的なことが国家の規模にすり替えられる「嘘」を前に、特攻の選択肢がまるで有効であるかのように浮上し、各人に選択を迫る。
この映画は、そのような矛盾に直面した際のアンビバレントで非合理的な人間心理を、更にはその矛盾に前意識的なレベルで気が付きながら葛藤する人間心理を、ゴジラという投影対象を用いることで描こうとする。
したがって、ゴジラはこの映画の主役ではない。


p.s.ゴジラ討伐大喜利楽しい。ゴジラのSF的側面にフォーカスしたゴジラ映画ってないんだろうか。
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