こうみ大夫

ゴジラ-1.0のこうみ大夫のレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
3.3
神木君が特攻していくところ、近くに座っていたお爺ちゃんがそっと席を立って、エンディング頃に戻ってきた。「肝心なところでトイレ行っちゃったな」そう付き添いの娘に呟いていた。もしかするとこの出来事が今作最大に泣ける瞬間だったかもしれない。「戦争」というものの一つ一つが、未だに誰かの中の、つい昨日見たような現実として存在している。それを忘れてはいけない。
漏れるほどノーランをオマージュしている山崎貴が、ノーランも直接描くことに躊躇したこの「日本の戦争」という題材を、馬鹿のふりして全部見せていくのは賛同できない。どこかで「格好いい」に落ち着いてはいけないし、そう思いたくはない。これは僕個人の勝手なスタンスだし、見終わった後「めちゃカッコいい!」と感動する高校生も勿論いた。いつか時代は変わっていく。先の戦争も新選組のように美化され「格好いい」一つになるかもしれない。でもどこかに、盛り上がりに水を差さないようそっと席を立つ老人もいることを、僕たちは忘れてはいけない。

役者にはその責任感がある芝居がずっとあったと思う。神木君はやはり凄い役者だ。ドラマ向きだ、映像向きだ、という芝居かもしれないがこの難題にある答えを出す芝居を試みている。
船で機関銃を握り再びゴジラと向き合う神木君には一瞬のためらいの芝居がある。これはあの日島で初めてゴジラと向き合い、銃を撃てなかった過去と重なる。そしてまたそれは、この映画では描かれていないが、特攻隊として飛び立つも「逃げる」という決断をしたときのためらいとも重なるはずだ。元海軍兵というだけで呼び出され、去る者も居る中残ることを決断する一人一人にもそういうためらいがあったはずだ。その「ためらい」がこの作品で重要なテーマになりえたなぁと思う。なんとなくあっさり、ばっさりいってしまってるこの映画はその意味に於いて「大衆右翼映画」の見た目をしてしまう。勿体ない。オッペンハイマーと同じ年に日本の劇場に流れていることは不幸だ。あまりにも力量差があるからだ。
戦争を「生きて帰ってしまった」作品として、野獣死すべしを思い出した。あの頃戦後の映画製作者たちが必死に考えた「戦争」、今こんな風になってます…
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