怪物だーれだ?
『万引き家族』はじめ、是枝作品の特徴は、あえて脚本をつくり込まない「余白」部分に魅力があると思っている。
その意味で坂元裕二のセリフの応酬による会話劇中心の脚本は是枝監督と相性が悪いのでは?と思っていたが、そんな心配は杞憂だった。
3幕構成から成る、それぞれの登場人物の視点から語られる物語。それぞれの視点は主観やバイアスにより少しずつ歪んでいる。同じ人物も見る視点を変えると「人間」にも見えるし「怪物」にも見える。非常に面白い構造になっている。
それぞれの「嘘」と呼応しながら紡がれるのは「無自覚な加害性」の物語だ。序盤から中盤は完全にサスペンスでありホラーでなのだが、そこから大方の観客の予想とは違う方向に収束していく。坂元裕二の脚本がとにかく見事だ。
その脚本の魅力を支えているのが是枝監督の演出だ。従前の監督作の要素を少しずつ溶かし込みながら、なおかつこれまでの作品とは決定的に異なる。ドキュメンタリー的な距離感を排し完成された「ドラマ」として描くことに注力している。
同時に是枝作品でこれまで繰り返し描かれてきた「子どもを理解できない大人」が批判的に描かれているものも面白い。是枝作品では基本的に大人、特に親は一部を除いて作中で信用されていない存在なのがよくわかる。
監督と脚本をつなぐのが、企画・プロデュースを担当した川村元気だ。
新海誠の直近3作、李相日の『怒り』など監督のベストアルバム的な作りを目指す傾向があり、本作でも是枝作品の過去作の要素を取り入れている。その意味で本作は集大成といえるだろう。
映画の完成度に何ひとつ文句はないのだが、終盤の展開をどう受け止めてよいかは正直なとこまだ迷っているし、咀嚼しきれていない。果たしてこの内容を映画として消費してよいのか?という危険性は、是枝監督が「子どもをとても美しく撮る」側面が強い部分があるからこそ心に留めておきたい。