とむ

怪物のとむのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

いやー素晴らしい作品でした。
名作映画って、予告編だけだとなんのこっちゃってなる作品が多い気がする。
「インターステラー」とか「バードマン あるいは〜」とか「ヤンヤン 夏の思い出」とか「シンゴジラ」とか…
大枠はわかるけど、詳細に着いてイマイチ掴めないタイプの予告編は面白いものが多い気がするんだけど、今作がまさにそうでしたね。


端的に言って3つのパートに分かれていて、
一番最初のシークエンスに当たるのがシングルマザーである安藤サクラの視点なんだけど、
ぶっちゃけ予告編だと「モンスターペアレンツ」的な側面が目立っていた彼女の立ち回りも「あれ?普通に子供に寄り添う母親じゃん」という感覚で鑑賞。
後になって考えてみると、この時点で一側面からしか見ていないと知らず知らずのうちに人を傷付けていることもあるのかもよ、という示唆になってたんだなぁと驚きました。

ただ、全体のシーンひとつひとつのぶつ切り感というか「恣意的に切り取られたモンタージュ」を見せられている印象が否めなくて、
なんとなくいやーな感じが通して漂っている。

そしてそれを見透かすかの様に反転させてくる、永山瑛太パート。
確かにあの女の子も「猫で遊んでる」とは言ったものの「猫を殺してる」という言い方はしてないんですよね。
そして観客は思う訳です。
「あれ?じゃああのお母さんが異常だったの?」
…そんな単純な話じゃないんですよね。


今作において非常に上品だなと思ったのは、
「彼」が抱えている悩みについて、はっきりと明言させるシーンはほぼ無く、かなり抑制の効いた塩梅にとどめていること。
(「好きな"子"が居る」という発言程度)
カンヌで「例の賞」を獲った時点で亜る程度予測できる展開ではあるんですけど、
この絶妙な塩梅のお陰で「はーハイハイ、例のアレね」感は一切なかったし、
大して興味もないのに、まるで目立たない生徒を教壇に引っ張り上げて、本人としては善意のつもりで"晒し上げ"をする教師の様な問題提起の下品さは感じられませんでした。
(そもそもLGBTQ問題自体、当事者からすると普段大して考えてすらいない「なんちゃってクリエイター」たちに軽々しく論じて欲しくないと思うんですよね)


僕は「怒り」「流浪の月」「美しき星」などの評でも同じ様な点について触れましたが、「クリエイターたるもの、自分が理解できないかもしれない存在にこそ思いを馳せるべきなんじゃないのか」という点については常々思っていて、
つまり「Twitterで取り沙汰されてるあの変な人は、きっと変な人だから揶揄って良いんだ」ってなる世の中に対する怖さがずーっとあるんですよね。

今作はそこを絶妙な温度感で示してくれていて、さらに踏み込んでしまうとこの作品で最後まで嫌悪感を持ち続けるであろう中村獅童演じるあの父親ですら、どんな背景を抱えているのかわからない点にこの映画の恐ろしさを感じずにはいられませんでした。
(もちろん、どんな理由があろうと子供の虐待は許されるべきものではありませんが…でも「君はいい子」とかの例もあるしね)

そんな、良し悪し(善悪では無く)の世界から隔絶されたあの二人のシーンだけは、やっぱり素直に感動してしまうんですよね。
特に最初に靴を分け与えて、二人でケンケンしながら駆け出すシーンはマジで泣きそうになりました。


ラストは多分…こんな直接的な言い方をするのは正直野暮ですが、おそらく二人は死んでしまったのでしょう。
そうでないと雨が降り頻るバスを見に来た母親や先生に救出されず、外が晴れるまでバスの中に居続けたことに説明がつかないので。
(途中で挟まれる金魚を転んでこぼすシーンも、飼い主的には善意だが、ある種囚われていた存在が環境から解放されるという比喩にも見える)

でもだからバッドエンドという訳ではなく、
方や虐待、方や望まぬ幸せを押し付けられて生きているあの二人にとってはある種の解放なんじゃないかな。
グザヴィエ・ドランの「mommy」のレビューでも描かれた様に「彼らにとって正常な世界」に転生できたのかな。
あと、個人的には林海象監督の「二十世紀少年読本」の、死後の世界でサーカステントに入っていくラストを彷彿とさせました。

全てが巻き戻った結果のビッグクランチ。
いや、「転生なんてない」けど。
俺も一緒に叫びたくなっちゃったな。
ウオー!!ウオォー!!
とむ

とむ