Kaji

怪物のKajiのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

膨らんでどうしようもないものが確かに自分の内側にいる人々の群像映画だと思いました。
既知の言葉では表せないものについて/未知ではないのに既知でもないもの。
登場人物たちは、それぞれ不安定さを抱えていて経験や語彙ではカバーできない未分化な自己を抱えています。

是枝監督は洗濯のモチーフが好きなのでなぞらえると、1幕は着てクタクタになり、2幕で洗濯を待ち、3幕で脱水されて干され、折り目に寄ったシワを伸ばし畳まれていく(ような)映画でした。
 洗濯、着ることがダメージなのか洗浄がダメージなのか、汚れが落ちたように見える服はどこか再生されたように「生き返る」ように見えて、少しづつ痛んでいる。
服はいつか捨てれますが、人の自己や内面はそうはいきませんよね。。

火事や台風、学校での不祥事、金魚の転覆病、管楽器の音が登場しますが、日常から少しズレた非日常が「本当に非常なの?」っとずっとサインを出し続ける今作、脚本演出編集が全て「成分」となって融合していたと思います。

3幕構成、3幕の瑞々しさと慈しみある視点が映し出すものが問うているのは、解放区を剥奪されていた人に届く救いは秘密基地から這い出しどろんこになりながら走り、追いかけ、こちらから手が届かないものなのかと思うと映像の質感より克明な3幕に身につまされる。。

この映画は観客を安全圏から出ないようにしながら、手の届かない2人の拠り所を見せるのでもどかしさと無理解の恥ずかしさを受け取るしかできなくなるもどかしさを抱えざるを得なくなる恐ろしいつくりをしている。

 片方のスニーカー(一対で成立するものを分ける)を履いてマンホールの下にいるかわからない猫の声に耳を澄ませる、そんな私にもわかりやすい言語以外の会話のうちに込み上げてきたものを愛しんでいるうちはまだ安全圏から見ていたのだと、深い反省が起こった。

ヨリが聞いていた「猫のこえ」は、ポケットに忍ばせていたベビースターは、ミナトがわけていたパピコの半分は、何だったのかなって逡巡します。

1・2幕で切り取られた優しさ「らしさ」と無自覚な悪意が削る心理に強烈なコントラストがあり、比喩的なもの・ことから繋がる自責の多さにクラクラしながらも、スニーカーが片方だったのがなぜかわかったとき思わず泣いてしまいました。衒いなく片方を差し出す優しさを、あの時CTスキャンに入るミナトの頭をよぎった思いへ最大限の「怖くないよ」を言いたくなった。あの検査で「異常が無いことを確かめる」という言葉がどれほどの棘を持っていたか。。

賞を獲ったこと、監督のコメントと、かいつまみ報道の齟齬で届かない人を生み出してしまったかもしれないことが残念に思えますが、観てから語るべき一作、宣伝の軽薄さからは距離を置いてじっくり観る重奏的な一作であると思います。
誰に肩入れするって話じゃなく、人は傷つくし癒える速度はその人のもの。
傷口を手で押さえ、梯子が外れた世界に、片手で自重を支え踏み締めて渡る人を見逃してはならない。


余談
 中村獅童氏がとびきり良くて、出代は少ないながらも役造形が際立ってました。
是枝監督は子役の演出が出色ですが、現時点の集大成かと思います。大人を未成熟な子供のように子供を賢者のように描く監督、「誰も知らない」では早熟を強制されたした少年、「万引き家族」では不揃いな成熟、「真実」では少年時代知る由もなかったもの、と他作から重ねられてきた目線が今作では集大成されて、画面には映っていないもの・ことが顕在してる実感が太い一作。坂本裕二脚本はいつも、中央が見えないから気配が濃くなる言葉の堆積を感じますが、脚本の魅力と是枝監督の洞察力のシナジーがものすごかったです。

いざレビューしてみると、自分の語彙より大きな作品だと実感します
Kaji

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