このレビューはネタバレを含みます
膨大な情報が流れ込んでくる現代社会で
それは本当に正しいかと考える事はあるか。
知らず知らずのうちに植え付けられた
固定観念でものを見ていないか。
大きくこの2つを問いかけられている気がした。
---
◆「母子家庭の子どもは問題を起こしがち」
本作では母子家庭でない人間たちが
上記の固定観念を持っているわけだが、
当事者である母親も
「母子家庭の子どもはかわいそう」
という固定観念に飲まれている。
「僕、かわいそうじゃないよ」
このセリフが固定観念であることを示す。
お母さんの分もアイスを持って
ベランダに出てくるシーンや
仲の良さそうな日常シーンは
少しもかわいそうに見えない。
親の有無ではなく、
どんな愛情を受けて育つかの方が
よっぽど幸不幸に影響すると思う。
どうでもいいけど私は女子高卒で
当時、保健の授業で隣の男子高に取った
「どんな女性と結婚したいか」的な
アンケートの答えの中に
「普通の家庭の人」という文字を見つけ
悲しみと怒りが湧いたことを思い出した。
---
◆「幸せ=結婚して家庭を持つこと」
そしてバトンは渡された
でも感じた違和感。
親は子どもが結婚するまで面倒見る??
私は自分の人生は自分でメイクしたいので
他人に強制介入されることに拒否感を抱く。
だから、そしてバトンは渡されたの
「父親が新郎に娘を幸せにするバトンを渡す」
のような感じがとても気持ち悪く感じる。
私は私自身で私を幸せにするのだから、
私のいないところでバトンとかやめてくれ。
幸せは人それぞれだから
幸せだけ祈ってくれればいいのに
手段を祈られると息苦しくて仕方ない。
それが大切な人から祈られると
もうどうしようもなく息が詰まる。
自分が悪者かのように感じてしまう。
「幸せって誰にでも手に入るもののことをいう」
というセリフは、んーどういうこと?
って聞きたい。(良い意味で。)
他人に押し付けられるもんじゃないよってこと?
---
◆「LGBT=病気」
依里の父親が「治してやる」と言っているのが
何を言っているのか訳がわからない。
おばあちゃん家の近くのなんとかちゃんが
好きなんだ、だから治ったんだ、はあ。
一貫して湊が「君はおかしくなんかない」
と言い続ける。狂った父親を否定する
湊の存在は依里にとって救いだったのか。
湊は組体操の2段目で崩れる。
「男だろ」という保利先生の言葉。
この辺からトランス?とも取れるけれど
何であろうがどうでもいい。
LGBTに限らず、意図せず他人を傷付ける
言動があるのだから、想像を辞めてはいけない。
昔大学の同級生が
「私ゲイとか全然気にしてないんだよね!
むしろ友達になりたい!ゲイバー行きたい!」
と言っていて、その発言が差別的であることに
気付いてないんだろうなと不快に思ったことを
またもや思い出した。
---
◆「学校に親がくる=クレーム=モンペ」
怪物がくるぞ、とでも言わんばかりの
教師たちの台本対応。
真実がどうかはどうでもいい。
問題が大きくなる前に鎮火する。
それが刷り込まれているから
初めから会話する気などない。
これは教育現場の疲弊がもたらした状況か。
「クレーム」の言葉の使い方にも
大きな違和感を感じる。
---
その他気になったところ。
髪の毛を切った意味。
違うだろうとは思いつつ、
依里に髪の毛を触られた感触が消えなくて
それを消したくて切ったんじゃないかと思った。
「癖っ毛のこと何か言われたの⁉︎」とか
これも思い込みだよね。
あと何度も「カマタくんでしょ⁉︎」って。
保利先生を捕まえて猫の死体を見せた少女。
これは湊の母に保利先生を会わせないように
他の教師が少女に指示した…?
だから「私そんなこと言ってない」なのか。
いずれにせよ子ども社会は本当に生きづらい。
はじかれないように必死。
自分を守るために嘘もつく。
だって誰も助けてくれないのだから。
カモフラージュに保利先生が使われた。
保利先生からいじめられることはないのだから。
作文がいまいち読みきれない。
何で「むぎのみなとほしかわより」だけで
「麦野、お前は間違ってない」
って思ったんだ…?
あと麦野家のワンシーンで
「子どもって親に当たり前=文化を刷り込まれる
よなあ、だから親子間で文化衝突は起こらない
よなあ、多文化共生ってやっぱり果てしなく
難しいことなんだよなあ」
と思ったんだけど、どこでそう思ったんだか
全然思い出せない。記憶力ない。
→思い出した!ご飯中に湊がテレビ見てる時
お母さんがリモコン取って
わ、怒られる、と思ったら
お母さんはテレビの音量を上げて
テレビに対してツッコミを入れるだけで
あ〜文化だ〜いいなあこのお母さん。
って思ったのでした。
男の「大丈夫だよ」と女の「また今度」は
信用してはいけない。
んー、もう一回観たいな。
想像しきれない。