1つの事象を異なる視点からそれぞれに見せる事で印象をひっくり返してくれる物語はとても好きなジャンルなので個人的にはそれだけでもポイントは高め。
また、同時刻に起きている事象を印象付ける仕掛け、特に不穏な効果を作っていると思わせる吹奏楽部(だと思わせていた)の音の印象が非常に“切ない咆哮”だと気付かせられるなど、シナリオや演出総じて抜かりがない配置は見事としか言い様がない。
圧倒的な「純粋」からくる衝動を封じ込める“世間”や“普通”といった先入観が、シンプルなものをより複雑にミスリードさせていく構造は、さながら本編に登場する“自分が何の動物かを当てるゲーム”に興じる部分とそのまま重なってくる。それは、伝える側がどの様に伝えるか、伝えられる情報を聞き手がどのように解釈するかで「怪物」の正体や有無はそれぞれ変わってくるという帰結、更には結末にもなっており、決して「投げっぱなし」ではない読み解くヒントが散りばめられ、観る側に幾つも提示されている。この点がとても丁寧できめ細やかだと感じた。
若干その“印象操作”を極端にしている向きも感じなくもないが、劇中に登場する何気ないバラエティ番組が映し出されるシーンから垣間見える“表現する方法”についてのアンチテーゼとも取れ、エンターテインメントという娯楽は「快楽」を生む一方ある種の「毒」でもあるという部分から何を導き出すかについて、視聴する側にも考える必要があると問うているのかもしれない。
都合よく使われる「普通」という価値観とそれを強要してくる人に正直ウンザリしてるにも関わらず、自分も非常に便利なこの言葉に頼り続けている現状にも嫌気がさしますが、そうした“しがらみ”から“解放”されたかのような清々しい結末は、胸を締め付けてくる切なさがありました。
観ている最中はそれこそ文字通り“時間を忘れる”ほどオモシロイと感じた反面、好きかと問われるとコレはなかなか難しくて、自分の中にある“基準”ってのがこんなに複雑で自分自身を未だ理解出来てないのに、色々な基準を持った人が生きている世の中での“普通の常識”って一体何なのか……なんてのをボンヤリと考えてます。