断面図

怪物の断面図のレビュー・感想・評価

怪物(2023年製作の映画)
3.9
それぞれの視点から描かれる本作は、黒澤監督の"羅生門"、橋口監督の"恋人たち"など三者三様構造の映画の中でも、一際言語化が難しい作品であったと感じる。

夥しい数の人間、それを上回る数の思想や概念がこの世の中にはあるのだと思うといつもゾッとする。果てしない気持ちになって、この作品や登場人物に対してそれこそおかしな角度で、自分の持ってるものさしでしか例えようがないという虚しさに気付き元気がなくなった。人は相手が感じた気持ちそのものにはなれない。知ろうとすることは出来ても、本当の意味で理解、現実化することは永久機関ない。想像に身を任せている全て。そのことについて未だ悲しい。自分以外の心を受け取ったり渡したりすることは、人の傲慢さそのものなのではないかと不安になった。とはいえこの作品の中の唯一の救いは、草木生い茂る二人だけの楽園で駆け回っていた彼らの存在なんだけども。生まれたての、善悪双方を持ち合わせた丸裸の子どもに、セクシュアリティを問うべきでない。もう、ほっておけばいいのに。

親だから気を遣うじゃん?といいながら、捨てられたバスの上を歩く二人。どうしようもなくなった時に限って、一番いい名前を付けようとしていた。君たちが間違いようのない世界でいられたらよかったのにね。インディアンポーカーでお互いの怪物を言い当てていた時間の中で、ナマケモノの特徴を言った際「ぼくは、星川依里くんですか?」の一言。ブヒブヒ泣いてたのはどこのどいつだって話。おれや。前途でも述べたように、人は、一つにはなれないから、だけど、好きな人とは同化したくて、どうかしていて、苦しい。自分だけ大人になれないことがわかっているから、この子供たちを見ているだけで、排水溝のような胸がどんどん詰まり、うまく流れてくれなかった。

あのマンホールの中にはさ、猫なんかじゃなくて、怪物がいたのだと思う。彼がいうドッキリの言葉に、麦野湊は微笑み、視聴者にとっての救いにもなっていたかもしれないあの描写。実際は、星川依里の小さな体の中に閉じ込めて、飼い慣らすほかなかった、怒り悲しみ苦しみ憎しみがしっかりと存在していることの現れであったかのようにも思う。ごめんね、そこからは、出してあげられないよ。という自戒と慰め。しかと耳を当てて、その声を聞こうとした麦野湊。生きていられた理由。怪物。いるよ誰でも。飼い慣らさないで欲しい決して。暴れてもいい。ぼくもときどきそうなるから大丈夫。もし、あのまま二人が生きていた将来があるとして、男の子を好きでいようが、女の子を好きでいようが、どっちだっていいことであってほしい。

懸命に愛を、立派にユーモアを、健気に一生を、注ぐ母親という肖像。早織はこの作品内にも必ず存在していて、不倫で事故死した夫の事実を隠したまま、自分の願いを子に捧げ、守るべきものの存在のために戦わずしていられないその姿勢に怖気付くばかりだ。恋人と結婚して子を作り、家族というコミュニティを形成し生涯を全うするということ。これを普通に、自分の親然りやってることが、狂っとるのか?結果、こんな人間が生まれてしまうものだから、私には絶対に出来ない。やめてよ、やめてよ、と声を漏らし後ずさった安藤サクラに魅せられひとたまりも無かったね。保利先生がいう、男の子なんだからって言葉は、自分に向けて発せられたことが今までにあっただろうし、そのことに対して嫌悪を抱くタイプであるはず。が、正しい大人の素振りをするものだからボロが出て、意図せず人を傷つけてしまう。きみはわるくないよ。誰だって欲しい言葉。いくつになっても。校長先生が吹く秘密のホルンが呻く放課後。音楽室。青い空と白けた校庭。憎たらしい。夢中になって、他のことを考える。

膨張した宇宙が、風船みたいにばちんと全て吹き飛ばすことを、二人みたいに夢見て数年。鯨かイルカに戻れるならば一層。実際のところ、生まれ変わりなんてしてたまるかなので、あの子らが駆け抜けた森の、風の一部になって、汗ばむ額を少し冷やしたい。それがいい。そうなりたい。映画を見終えて、銭湯に向かう足取りが思わしくない。閉店時間差し迫る焦りも混じりつつ、りんかくがぼやけた湯の中で映像を巻き戻す。どれほど最高の風呂であろうと、この作品を見た後ではどうにも穏やかな気持ちにはなれなかった。生きたままいける楽園なんて。そのことだけがわかった。ラストシーンにかけて坂本龍一のAquaが流れ始めた頃に、小さな恋のメロディが蘇る。こればかりは違いなさそう。祈りばかり。この先もずっと。お守りなんてなくたって、優しくなれたらよかったのにね。

最後にもう一つ。この作品を自分の中で評価するにあたって、突き抜けきらない理由はどこにあるのだろうと考えていたら、クレジットに昔から性に合わないプロデューサーの名前を見つけ、妙に納得エンドです。
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