ささ

怪物のささのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

童心にかえる。
小学生の頃、サッカー部や児童館にいる先輩が怖くて苦手やった。
でも、それよりも神社の林を友達と探検したり、ホワイトボードにめいっぱい落書きしたり、自分だけの暗号を考えたりしてるだけで満足してた。

子どもの頃は物を知らないから、自分の気持ちに素直で、友達の事もよく分からないまま、そういうものだと受け入れていた。

成長する中で、自分のモノサシではなくて世間のモノサシで物事を見るように変わっていったと思った。

これはやっちゃいけない事、こういう事をすると良い。じゃ今の自分がしている事はどうなんやろ。

そうやって世間のモノサシに合わない事は秘密にして、秘密にした事も忘れてしまっている気がする。

大人になると立場や責任、世間体と共に生きている。
生活に追われている自分はあの頃に戻れるのだろうか。

まだ善悪や現実と空想の境界があやふやな時の自分だけの世界の見え方を思い出せるだろうか。

大人の方が世間に揉まれ、子どもよりも余裕がなく、逆に子どもに救われたり気を遣われたりしているのだと思った。

作中で土砂で横転した電車の窓をいくら拭っても泥に隠されてしまう様子は、大人が失った童心を取り戻そうとしている様だった。

校長と旦那さんの会話にあった「お菓子泥棒」は大人になれば自由にできる分、その責任を果たす為に心が淀み、元々持っていた大切な何かを失ってしまうという例えなのかも。


ラスト、彼らは生きているのか死んでいるのかはどうでもいいようにも思える。
彼らがあるがままでいれた事が大事なんだと思う。
彼らは意識的でも無意識でも親や先生に作られた柵を超えていた。

これは校長の事故にもいえる。
どちらにせよ校長はまさしく事故の責任を背負っている。
だから学校に戻り、子どもを1番に救わないといけなかったのだと思う。
世間体なんてのは心底うんざりしていたと思うし、それよりも子どもの問題をどうやって救うかが大切だったと思う。

校長の折り紙や子どもに足をかけるのは童心にかえっている様だった。

彼らを救えたのは校長だった。



作品の1番初めに口笛の様な音から消防車のサイレンになったのが、冒頭からキーパーソンの家庭内DVと虐めを受けていた少年だったのが見事だなって思った。

お母さんは始め、白線から落ちたら地獄とか童心を持っていたけど、息子の嘘から学校の対応から色メガネが濃くなっていたと思う。


校長室でのやりとりは少しコントっぽい感じがして心が離れかけた。
もしあれが現実に近いなら相当気持ち悪いと思う。
ささ

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