ぼっちザうぉっちゃー

怪物のぼっちザうぉっちゃーのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

口にするのもおこがましいほどのまさしく怪物級に豪華な布陣で、果てしなく敷居が上がり続けていた本作であったが、まず感じたのは存外シンプルにエンタメとしておもろぉということだった。

三幕仕立てという構成自体が面白くて、本当に終盤まで謎とざわめき呼ぶシナリオそのものの求心力がすごかった。また全体の是枝感のなか、根底を流れる坂元節。ちゃんと両者の存在が感じられる完璧な合作になっていた。

そして予告ではサスペンス的な惹句としても用いられていた、「怪物」が誰なのかという問題。これには、みんながそうであるとか、あるいはそうでないとか、これでもかってほど濁し続けたお抹茶みたいな回答が可能なのだろう。

そんな回答への足掛かりとして、今作でもやはり感じたのは坂元裕二の「対話」の姿勢だった。
本作において一切の詭詐や虚飾の無い(ように見える)交流が感じられる場面というのは、廃電車の湊と依里であり、嵐の中の担任と母親であり、音楽室の校長と湊だったりした。
これらはどこまで行っても、傾聴と言葉の明け渡しによるちっぽけなデュアログで成立していて、不特定多数を相手取る大団「円」ではなく、せめてたった一人の誰かと「線」を繋ごうと模索する姿勢に感じられた。

こういったところから、お抹茶なりに個人的に考えたのは、たぶんこの世に人間が一人だけだったならこの映画は生まれなかったろうし、恐らく二人だけでも生まれることは無かっただろうということ。そして言うなれば、きっと「怪物」が生まれたのは「三人目」が生まれた瞬間なのではないかということだった。
それは血のつながった母子にとっての「学校」とか、愛し合った夫婦にとっての「子供」とか、そういった「第三者」として現れる特定の相手ばかりを言うのではなく、そうした三点以上で成り立ってしまった関係そのもののことを言うのではないかと思う。
単純な彼我の間であれば明白なはずの「だーれだ」という問いも一人加われば途端に不確定な代物となるように、三つ以上の別個の意思が共存すれば立ちどころにその「みんな」は社会性を帯び、得体の知れぬ「怪物」と化すのではないか。
そして本作において物語は「三度」繰り返す。観客は同じ出来事を三度に渡って経験し、否応なく自分を含めた三者以上の相対化を余儀なくされる。そうすることで映画全体が大きな怪物を描き出しているように感じた。


事あるごとに語られる「生まれ変わり」というモチーフと、「繰り返す」物語。そこからニーチェの永遠回帰説なんかが思い浮かんだりもする。
しかし二人は極端に若く、「この生をもう一度!」と呼べるだけの生を享受するには難しい身空であるし、あるいは残酷にも最後のあそこは十万億土なのかもしれない。
それでも、そんな境遇や生まれ変わりなんかを歯牙にもかけず、ただお互いの生を真っ直ぐに駆け出す二人の在り方は、その魂は、不完全で非細工で無碍で、それこそ「超人」的でもあって、
どんな恐ろしい「怪物」にも敵う強さを湛えているような気がした。