ポンコツ娘萌え萌え同盟

巨人ゴーレムのポンコツ娘萌え萌え同盟のレビュー・感想・評価

巨人ゴーレム(1920年製作の映画)
3.6
”ゴーレムというのは、ユダヤ教の伝説にある人工人間の話なんだよ。泥をこねて人間の形に造り、ユダヤ教の呪文を託した護符を塡め込むと、生命を得て動きまわる話なんだ。
しかしこの護符を取りはずすと、たちまち元の泥人形にもどる。”
──島田荘司「斜め屋敷の犯罪」より
後のセリフだとパウル・ヴェゲナーは三度映画化したこと、(登場人物が)デュヴィヴィエの『巨人ゴーレム(le golem(1936))』を観たと記述されている。
台詞に沿うならデュヴィヴィエ版を観るべきだが、今回はパウル・ヴェゲナーの一つ1920年版を鑑賞。

ゴーレムは果たしてユダヤの救いの主か。それとも悪魔の泥人形か。黒魔術によって造られたゴーレムと魂の所在。生命を宿すも命令を実行する召使いの様に扱われ、暴走しては人を恐怖に陥れる。怪物に感性はないのか。
再び怪人ゴーレムを演じたパウル・ヴェゲナーの所々で見せる表情や一部の動作のショットは、そうは見えない。
外に出て少し周囲を見回すように顔が動く姿。動力源である胸にはめ込まれた星型のシンボルを取られないように守ろうとする姿。少女を抱くゴーレム。本作のゴーレムは明確に感性があるように感じる。

ところで、大学時代に趣味で取ってた講義で時代とモンスターと文学的なのを受け、個人的に衝撃を受けたシェリーのフランケンシュタインの怪物と出会うきっかけだった。怪物と感性の存在では最も象徴的なモンスターである。人の手によって造られ、生命を得た怪物としてゴーレムと共通点もある。だがゴーレムとフランケンシュタインの怪物のモンスター性質の面白さは異なる。
完全に人の言語を話し、自己存在の葛藤と拒絶の苦悩の中にあるフランケンシュタインの怪物の面白さは知性と理性、社会、人間にある。
一方で寡黙であり、普段は操り人形のようで、周囲の人々からは驚嘆されるも、物語中は人の内に存在するゴーレムは対照的な怪物的な点もある。
本作のゴーレムというモンスターの面白さは命令と暴走の狭間で、無垢な感性と生命の所在にあると思う。

私が見たDVDだと画質が微妙だったけど、セットの美術もそれなりよくできている。一風変わったデザインのオブジェクトや建築なども本作の見応えの一つだし、悪魔を呼び寄せたり、空間浮かぶ内装建築など魔術的な演出とアプローチもそれなりに楽しめた。