「夜明けのすべて」の2回目観たあとに、似たようなタイトルの映画あるぞと思って、なんとなく興味沸いて観てきましたー。
この手の映画…ユーロスペース1館でしか上映していない日本の若手映画作家の映画で、しかも観ないとその意味が解せないタイトルの映画…ある種の予断を持ってしまいましたが(若い才能に厳しいわたしです)、すみません面白かったです…!
多摩ニュータウンを舞台とした物語、くらいの情報と宣伝ビジュアル(※)の印象しか持ち合わせていなかったので、最初は語りのリズムやドラマの把握に戸惑いましたが、はじまって20-30分くらい経って映画の貌が見えてきて、いい感じで観終えることができましたよ。
いわゆるソフトストーリーの映画なので、言葉でこの映画の結構をあらわすのは難しいんですけど、決して多弁ではないキャラクターたちの情動とゆるやかな迷宮としての多摩の情景の連なりが、きわめて映画的に大きな感傷を作り出していていましたね。
そこがまずよかった。
人とその人が暮らす土地というのは不可分で、よく小説のモチーフになったりするけども、映画でここまで濃厚に描かれているというのも2024年の日本で新鮮な気がしました。
(そこにいちばん意識的なのはたぶん空族)
この映画をより受容しやすかったのは、わたしが上京して最初に住んだのが多摩丘陵の端っこだったからですね。
10代終わりからの4年ほどを多摩のあちこちを徘徊して過ごしていたので、形容しにくい多摩の風情、とりわけ営みとしての“郊外”を知悉していたつもり。
郊外がマイブームで70年代に造成されたニュータウンを見に千葉や埼玉にもフィールドワークしてました。
そのニュータウンのあの“感じ”をスクリーンで目の当たりにして、懐かしさを受け取るとともに、わたしの知っている多摩ニュータウンの日常が映画の中に納まっていることに驚きもしましたね。
とはいえわたしが多摩に住んでいたのは20年以上も前なので今はまた違う雰囲気になっているかもしれませんけど。
映画本編のオハナシとしてはとりとめがないんだけど、ニュータウンに住まう3人の女性の一日が丁字路的に交差し、そこに人間の営みの可笑しさや果敢なさや無情を現出させ、そこに土地と時間の連続性も漂わせている語り口はとてもよかったですね。
なにか、土地の精のまなざしのようで、かといって作為的でもなくて。
それから、その3人の女性がそれぞれにどこか陰性のキャラクターで、俳優さんとのマッチングもあって、映画を駆動させる存在として面白かったし、兵藤公美と大場みなみという初めて見たおふたりの名前と顔は覚えて帰ってきましたよ。
おふたりともキャラクターとしてハッピー!ラッキー!イエーイ!というタイプではまったくないしそういう局面もこの先絶対にないんだろうなというような風情で、倹しく日常のさざ波や隙間風やかすり傷を静かに受け入れて生きている、という佇まいが素晴らしかったですね。
所在ないそぞろ歩きがこんなにも多摩の風景に合うし、彼女たちの何気ない所作が映画のエモーションにもなっていて、ちょっとしたものだと思いましたよ。
そうそう、見上愛さんも初めてスクリーンでお会いしました。いい。CMで見るより億倍ファニーでメランコリックで魅力的でした。
そして、その人と土地のささやかな感傷の向こうに記憶(=歴史)が蕭然としてあり、それが幾万の夜に融けて滲んでいくさまをスクリーンで目の当たりにして、わたしは快哉をあげましたね心の中で。
この映画をもってわたしは、清原惟さんという映画作家の次回作を楽しみにする人間のひとりとなりますことを宣言します。
キャラクターの動かし方と土地の捉え方が的確で、20年代の多摩ニュータウン映画になっていたと思います間違いなく。
実はこの映画に興味を持った理由のひとつは(※)本作に関わった宣伝デザイナーによる性加害で、(その件を蒸し返すつもりはないですが)その告発に対する清原監督の声明に真摯さを感じ「こういう人の映画を応援しよう」と思った次第。
で観て、これからも応援しますし、次回作もその次も劇場に駆けつけようと思います。
ベルギーのバス・ドゥボス監督のような作家になっていくかも、と期待しとります。
なにはともあれ、観てよかったでーす!