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すべての夜を思いだすのT0Tのレビュー・感想・評価

すべての夜を思いだす(2022年製作の映画)
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2024.5.2 34-45

よかったです。もっと観たい、と思った。振り付けは山二つの人ですね。音楽もちょっと山二つぽかったけど、違うのかな。

不思議な距離感を感じさせるショットだな、と感じてたが、ホームビデオを見るシーンから、この距離感に納得できた。ホームビデオがある生活の記憶を映すとするなら、この映画は生活と生活の間を映す。接触しないが分離されているわけではない距離。背中越しから撮られる「手前と奥」こそ、この映画における不思議な距離感の正体のように感じる。この映画において一番のシーンは、手前と奥で展開するダンスシーン、特に2回目(ホームビデオの後)のダンスシーンである。

いなくなったかもしれないが確かにいたもの、想起されるべきもの、それは撮影者であるダイである。フィルムや土偶といったものは、それらを想起させるのか。いや実は、想起させるのは、上記の不思議な距離なのではないか。例えば、ダイの撮ったフィルムとそれを見る写真屋の店員。2人は何の接点も無いが、フィルムを通して、お互い知らないまま関係する。明確に「対象」としてダイは思い出さないかもしれない。ただ写真に、その撮影者に志向が向けられる時、ダイの存在が浮かび上がる。それは、土偶を見て4500年前に確かにこの土地に居た縄文人に思いを馳せるのと同様に。とはいえこの距離は、不安定でもある。引っ越しによってもう会うつてが無くなってしまうように。

この映画の不思議な距離感とは、まさに対象=目的の無さである。カメラが映し出す彼女たちな姿は、ただ自由に生きているわけでは無いが、対象=目的が見えない断片的な生活において彷徨う姿である。ただそれが生活であり、その生活と生活の間がこの世界なのでは無いか。「客観的ー主観的」とは違う仕方でこの映画は生を現実的に見つめる。

この不思議な距離を保つとはいえ、最後の最後において彼女たちの人物像はもう一度立ち上がる。それぞれの夜に浮かび上がる彼女たちの輪郭において。花火を眺める背中越しのショット、ベランダからバスの乗客から彼氏を探す彼女の横顔のショット、その二つにおける光に照らされる顔の輪郭が綺麗。
T0T

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