春とヒコーキ土岡哲朗

マイ・エレメントの春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

マイ・エレメント(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

形が定まらない夢も、火と水のようで美しい。

絵が綺麗すぎる。
ピクサーはいつも最新のCGで綺麗な絵を見せてくれるけど、久しぶりに驚くほど綺麗だった。特に炎と水のゆらめきが綺麗。主人公2人が火と水なのでその体の一部もそうだし、それ以外の物質としての火と水も綺麗。焚き火や水槽を見てリラックスするのに近い感覚もある。火と水が近づくときの、水が沸騰しそうにぐつぐつとする様子、火が少しだけ消える様子など、「変形」する瞬間を細かく描いていて見とれた。主人公2人が、形が固定されていないので常に輪郭が少し動いている。万物に命を見出す擬人化ならではの表現だった。『かぐや姫の物語』と同じ、アニミズムのアニメ。風と木のキャラクターも登場するが、そもそも物質じゃない風を人間のイメージで絵にしたものと、形が定まっている木では、そうはならない。だから4つのエレメントの中で主人公が火と水なのは重要だと思う。

人種や立場の違い。
エレメントシティに四つのエレメントが住んでいるのは、我々の世界にあるいろんな人種が集まった街のよう。しかし、いろんな人種がいながらも、火だけは中心地にいる数が圧倒的に少ない。火は水を蒸発させたり、反対に火が消えてしまったり、木を燃やしたりと、他の種族と物理的に相性が悪い。だから、火だけはみんなと離れて暮らしている。これはきっと人間の世界にもあるのだろう。たくさんの人種を受け入れる場所でも、特定の人種は共存しづらく、離れている。また、ヒロイン、エンバーの父は、水はおれたちを受け入れない敵、といった感じで水を毛嫌いしている。孤立させられている側が、その恨みもあって敵意を強くしてしまう。一方、ウェイドの家族はエンバーに最初から好意的。ウェイドの母とエンバーの初対面でてっきり「火と付き合うだなんて」となるかと思ったら、ずっと会いたかったのよと歓迎される。こうありたいと思うけど、ウェイドの家族は高級マンションに住む裕福で心にもゆとりがある人たち。わざわざそう描かれているのが、差別しないためには裕福さが必要、切羽詰まっていたら排他的になる、という寂しい主張でもあるのかなと思った。

受け継ぐか、自分だけの道を行くか。
エンバーは小さい頃は父親の店を継ぐのが夢だった。それは、目の前にいる大好きな父と同じことをするぞという幼心。しかし、今のエンバーは実は、店を継ぎたくなかった。何と決まっているわけではないけれど、ちがうことをしたかった。この、他にやりたいことが決まっていないのがミソ。結局は、ガラス細工の才能があることが分かり、それに関する仕事を目指して親元を離れるところで映画が終わる。でも、できること・やりたいことがあるから店を継がないという話ではなく、店を継ぎたくないから継がないという話。人間は、やりたいことがあるからやるのではなく、やりたくないことがあるから違うことをやるのかも知れない。そんな若い、青い、何も成功や安定の根拠を示せない欲求を、親に伝える。根拠がないんだから、親を説得なんかできない。説得ではなく、やってみたいんだと言って始める他ない。エンバーも「全然だめですぐ帰ってくるかも知れないよ」と言って親と別れる。何とは決めてないけど違うことがしたいという欲求を肯定する物語は珍しいと思う。