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Life work of Akira Kurosawa 黒澤明のライフワークの教授のレビュー・感想・評価

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んー…と絶句してしまうほど、面白さは感じなかった。
というのが、本作で映し出されている「乱」以外にも「影武者」や「夢」、そしてその他のメイキングを追ったドキュメンタリー作品もそれなりにあり。
映画製作の現場、特に莫大な制作費を投入したスペクタクル大作のメイキングというのは、現在の日本映画ではほぼほぼ観られない、という面白さ以外には何も見つけることができなかった。

というか。当時の現場のメイキング班として河村光彦監督は、その膨大な映像資料を自費でデジタル化して、作品化のこぎつけた、という話を聞くと、その意義深さを感じたりはするのだが、大雑把に言って、先に述べた各作品のメイキング映像や、書籍などでも、大体同じことをやっていたりはするので、新味は乏しい。

自主映画作品として、その辺りはあまりにも気にしないようにしたいのだが、一番残念に感じるのは、黒澤明という監督の「作家性」の部分や、フィルモグラフィからの「批評」であったり「分析」がお粗末に感じる。

というのも「乱」は黒澤明の晩年の重要な作品ではあるが、決して集大成ではない。
また「作り手」としての黒澤の「映画論」は、非常にスタジオシステム的であり、どうしたって予算規模の巨大な、スペクタクルやリアリズムを伴う「贅沢」なものであるのと同じで、誰しもに必要な、普遍的な技術論とは言い難い。
むしろその点では、かなり特殊な「選ばれた」人間側の論理で成立している世界でもある。

例えば複数台のカメラを使って撮影する理由は「役者の感情をぶつ切りにしないため」と言っている箇所もあるし、それが一様に「間違い」ではないが、多くの映画のように「1カメ」で撮ったぶつ切りのシーンでも、その演出や俳優の演技力、撮影や編集の組み立てで表現できるというのは往々にしてあるので「それぞれのやり方」でしかないのだなぁと割と冷静に受け止めた自分が割と新鮮な感慨だった。

そのため、少なくとも監督なりの言い分、やり方で怒鳴り散らすというのも、あるいは優しく親身になりフレンドリーに接するというのも適材適所の判断で行われている「演出の一環」であることも改めて感じた。

と、現場を見れば見るだけ、学びになるという映画の持つ集団作業の真実は作品から見て取れる。特に、現在では本当に日本映画ではほぼ観ることのできない姿であることには感動するし「これが映画づくりだ」と言いたくもなる。
そこになんとなく粗暴にも感じる味気ないフォントのテロップは、内容も含めてかなりゲンナリした。
劇場で観るのはかなりしんどいというのが正直なところ(僕は配信で観た)。
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