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みなに幸あれのumihayatoのレビュー・感想・評価

みなに幸あれ(2023年製作の映画)
1.0
僕は胸糞映画が好きなので
正直鑑賞中は好意的にみてました

「誰かの犠牲の上で誰かの幸せが成り立っている」という価値観を肯定して、それを「現実」だと言うことは
「自分の幸せの為なら誰かに犠牲になってもらおう」と同義だと思うし
その価値観を地で行く悪意に溢れた映画をあえて作ることにより、そんな考えに同調してしまう主人公やを笑い、そんな考えを「現実だ」と思ってしまう観客に警鐘を鳴らす作品の様にも思えたからです。
まさかそんな邪悪な事を大声で言う人もいねぇだろとも思いましたし。

しかし鑑賞後、監督のインタビューを読んでそんな好意も崩れ去ります

https://news.yahoo.co.jp/articles/180079347b1eba2e59efb4eb2f95709f8cb3c254?page=1

以下、僕が問題だと思う場所です

──「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」が本作のテーマです。そうした他人の犠牲の上で生活を営む人間の業について、どんなことをお感じになりますか。

下津:今回、古川さん演じる孫以外は、自分たちの幸せのためなら犠牲をいとわない現実主義者。実際、ほとんどの人間がそうだと思うんですね。そんな中、孫は理想主義者として入ってきて、現実を知り、最終的に現実を受け入れいく。これってパッと見はバッドエンドなんですけど、僕としては現実を受け入れつつ、理想さえ捨てなければハッピーエンドなのかなと思っている次第です。

──では、目を伏せたくなる現実に対して、ちゃんと向き合うタイプですか。それともどこかに理想を見出すタイプですか。

下津:僕は超現実主義者です。いちばん仲の良い監督仲間が僕と正反対の理想主義者で、よく夢物語のようなことを口にしているんですけど、それに対して僕はわりと冷ややかなところがあると自分でも自覚しています。

──じゃあ、もし今回登場する田舎の村に迷い込んだら……?

下津:即従うと思います(笑)。

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もう一度言いましょう

「誰かの犠牲の上で誰かの幸せが成り立っている」という価値観を肯定してそれを「現実」だと言うことは
「自分の幸せの為なら誰かに犠牲になってもらおう」と同義だと思います

この映画を監督し原案まで作っている、この下津とかいう男が劇中の誰よりも
人の幸せを自分の物差しで図り、自分より不幸と認定した人間や助けが必要な人を見下し、更にそんな人達に対して「自分の幸せの為の犠牲」だと思ってると言ってしまっていいと思います。
こういう人間が、「年寄りを切り捨てよう」「被災地の復興は現実的では無いから移住してもらう」という人権侵害を「現実主義」だなんだと曰うんだと思います。

こいつは現実主義者でもなんでもない。
ただの失礼極まりない傲慢な世間知らずでしょう。陰謀論にも片足突っ込んでるレベルで哀れな人だと思いました。

田舎で「ここで生きたい」と思ってる人達にも失礼です。
以上。
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