私たち日本人のほとんどは常に喪服を着ている。
そこから命の水を解放して「ここにいるよ」とステップを踏んだとき、真っ赤な水面に波紋が広がるんじゃなかろうか。
スクリーンに映し出された誰もがクズで、だけど、何かしら庇ってあげたくなる何かがある。
誰かにとって、誰かはクズなんだ。
自分がクズでも自然なことじゃないかと安心させてくれる、ブラックなやさしさが見えた気がした。
その人が誰かを攻撃したとき、「そうしなければならないほどなのだ」と受け止めるのに必要なものはなんだろう?
仕組みだろうか、想像力だろうか?
守ってこそのルールでありマナーであるけれど、それがクズにとっては攻撃なのかもしれない。
「正しさで人は動かない、必要なのはやさしさだ」とよく言われる。
それも、ただ甘やかせばいいというわけではなく、必要な優しさとタイミングがあると、この作品は示している。