ボギーパパ

せかいのおきくのボギーパパのレビュー・感想・評価

せかいのおきく(2023年製作の映画)
3.8
劇場2023-34 TC光森
一部不適切と思われる言葉がありますが本作でも使用されているのでそのまま表記します。

米が口から入り消化吸収され異なる状態になると「糞」となる。まことによく出来た漢字だと思う。

しかしこれまで映画であまり、いや、殆ど、いや、私の知る限り、、、
描かれたことはないであろう「汲み取り」を話の中心に据えた江戸末期を舞台にした作品。

私は昭和の生まれですから、物心ついた頃のまだ汲み取り式便所であった時の記憶も当然ございます。家の裏の方に便所があり、糞尿を溜める桶あるいは槽があり、地面に設置された蓋を開けバキュームカーが景気のいい音と、なんとも言えない匂いを立てて吸引、、、されていってました。
私より古い方々は、汲み取り業者の方々を本作でも使われる呼称「汚穢(おわい)屋さん」と呼んでいたことも覚えています。

登場人物の矢亮と中次はおわい屋さん。最初中次は屑屋さんだったが、なぜか転職。(この屑屋さんも昭和に絶滅してしまった職業。古紙回収業になってしまったわけだが、この屑屋さんは落語の世界では「らくだ」「井戸の茶碗」などにたびたび登場し、名を残している)。

この作品を一部カラーのほぼほぼモノクロにした意味はよーーーーーくわかった(^^)
もちろん叙情的表現の意味もあろうが、「現物」をかなりの部分で直視する必要があったためであろう。大雨の後はカラーだったが、、、、

さて、本編。
矢亮と中次は、それこそ糞に塗れてもしっかり根を張って生きている。江戸のサステナブル社会を大いに回す役回りなのだが、当時であれば社会的底辺の仕事という認識はついて回る。そんな中武家・松村源兵衛の御息女おきくと中次はなんとなく惹かれ合う。身分の違いが二人を近づけることはしないが、、、

その松村源兵衛は娘おきくと、裏長屋での生活に身をやつしている。この源兵衛さん、曲がったことが大嫌いらしく、旧主家らしい方々はこいつがいると厄介らしく、、、この争いにおきくも巻き込まれて声を失う。さておきくと中次の淡い恋は、、、というお話なのだが、どうにもこうにも
① 江戸時代の、あるものは何でも使い切り、土に戻そうという文化というか、摂理というか、人間も死んだら土に帰り、自然の肥料になる。人生の物語もまた、肥料となる。自然も人も死んで活かされ、生きる。という本作の原田Pの言葉に見られる作品の意志が刺さる。全編にその思想が活かされている。
②矢亮と中次の明るさ、負けじ魂、根を張る力が凄い
③おきく=黒木華の声を失ってからの演技が凄い
④佐藤浩一、石橋蓮司が箍を締める演技がたまらん。世界の話と、早桶の件。意味深いのぉ
⑤孝順=真木蔵人の味がたまらん。あんな真木蔵人初めて見た。頭の形が超カッコいい!

と本作の魅力を挙げるとまだまだ出るのであるが、生きるってこういうことなのかってことを深く感じた。
静かで心に染みるし、何より「匂い立ち、目に染みる(^^)」良い作品でした。

タイトルが「せかいのおきく』なのはよくわからんが(^^)


それにしても池松壮亮、シン仮面ライダーと共にか知らんけど、こんな作品も撮っていたとは、、、さすがです。







唯一、本作の矢亮と中次、両名とも良い男過ぎておわい屋さんとは、、、、
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