ひろゆき

せかいのおきくのひろゆきのレビュー・感想・評価

せかいのおきく(2023年製作の映画)
3.0
銀幕短評(#709)

「せかいのおきく」
2023年、日本。1時間29分。

総合評価 60点。

いま、という時間、時代を わたしたちは例外なく生きていますが、どの時代にあっても それは過去を見わたして「いま」が最先端の技術と文化を誇っているはずですね。

わたしがはたらき始めたときは、世にスマホなどなく、東京への出張電車の予約や乗り継ぎはJR時刻表をあれこれひっくり返して調べるのに時間がかかったものを、旅行会社でチケットを購(あがな)ってもらって事務所でそれをピックアップしたものです。

あのふたりは ものがたりのなかで、たがいを見初(みそ)めて交際を始めるわけですが、あのようなかぎられたみじかい時間でこころを通わせることは、いったい可能でしょうか(映画の脚色ということを割り引いたとしても)?

むかしのひともいまのわたしたちも、生きるのが可能なのは1年365日それぞれ24時間と決まっています。その24時間、むかしのひとに比べてわたしたちはいま、いろいろな選択肢に選択をせまられる。朝起きると何を食べようかと迷う、どの服を着ようか迷う、仕事にいくのにどの電車のどの車両のどの乗降口にするか迷う、帰宅するとここからさらに大きく迷う。むかしなら(スマホのない時代なら)テレビをみるか読書をするか散歩をするか、そういうオプションに限られていたわけですが、文明(というか 単なる科学技術)の発達したこんにち、わたしたちにはそういう自由(すくない選択肢で こと足りる自由)は与えられない。与えられるのは選択につぐ選択という「不自由」です。タブレットを開く スマホをひらく、Instagramでのアルバムづくり(わたしならコーヒーと花)、LINEやMessengerでの 通信のひっきりなしのやりとり、Kindleでの読書(わたしなら漱石と雑誌、タブレットとスマホと同期してくれて、これは便利)音楽アプリでエアチェック(Bluetoothのおかげでアンプラグドエアチェックで快適)、宅配便の時間帯をしぼった荷渡し手配、出張ホテルの予約、週間天気予報のチェック、Amazonでの買い物、読み貯めた新聞の斜め読み。ここまで手を広げると、もう24時間がアップアップです。さらに映画を観たりFilmarksに感想文を投稿したり、ほかのひとの感想文を読み比べたり、そういう優雅なことをしていると、睡眠時間を2時間ほどは削らないといけません。つまり選択肢の迷路にふかく踏み入ってしまって そこからうまく抜け出せなくなっているのですね。

スマホやタブレットは、現代を生きるための あくまで「方便」(ほうべん、つまり道具)であって、それ自体をまるで強迫観念に追い立てられるように長時間入り浸って使うことを「目的」としてはなりません。手元のスマホの呪縛に絡(から)めとられて 顔をうつむいているばかりでは、あのふたりのように 異性どうしが互いを見つめあうこと 見初めることはできない。じぶんのこころのいちばんたいせつなところを、じっくりと見すえることができない。一見便利と思える科学技術に振り回されるべきではない。その奴隷となってはいけない。

それなら公園を3周走るほうがよほど健全ですよ。そうでしょう?
ひろゆき

ひろゆき