ヒナウラ

せかいのおきくのヒナウラのネタバレレビュー・内容・結末

せかいのおきく(2023年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

映画がはじまって、まもなく排泄物が映し出される。し尿を汲み取る場面なのだが、モノクロの画面でも、人によっては目を背けてしまうかもしれない。
私が先日鑑賞した映画に、高いところを登る描写があった。とても手に汗握ったけれど、今回は冷静に観ることができた。

「汚い!」だけで片付けられない何かが、この映画にはあるのではないか。


まず驚かされることに、汲み取る人が、その汲み取った敷地の主にお金を払っているということ。排泄物は肥料として扱われ、彼らは大八車や舟で農家まで運び、その際にお金をもらう。
現代とは比較できないゆえか、この仕組みを理解するのが難しかった。いわば当時のエッセンシャルワーカーであるはずなのに、不当すぎる扱いを受けている。といいつつ、現代のエッセンシャルワーカーの方たちへの扱いは不当ではないのかといえば、そうとはいえない現実問題がある。
それに、排泄物を栄養として育った農作物を食べ、結果、また排泄されることになるのがヒトのしくみなのだ。
昔も今も通じる、さまざまなループがここでは描かれている。

ところで、排泄物を取り出すところは丸い穴なのだけれど、雨に濡れる手水鉢や雪積もる桶も丸い。
この映画は、醜美違わず同じ目線で見つめていて、メッセージのように感じた。

一方で、人物が縦に移動し、奥行きを感じさせる構図も多い。なかでも、佐藤浩市や黒木華たちが暮らす長屋を捉えたショットが印象的だった。画面奥に漂う靄が、朝や冬を思わせる。

そしていちばん素晴らしく感じたのは、寛一郎を待つ黒木華の、寒さや待ち焦がれでじっとできずにいる足を捉えたショット。それは、し尿などと同じく平面に映された足と、画面左奥から近づく寛一郎とを同時に見せており、この映画が捉えてきたものがひとつのショットに結実しているからではないか。
ただ、「同時に」といっても、たしかにこのときの寛一郎の姿はぼやけていて判別ができない。しかし、それまでじっとできずにいた黒木華の足が、ハッとしたように彼の方に向けられる。そのことではっきりと寛一郎をみせているのだから、見事だと思う。


「『せかい』というのは、あっちの方に向かってゆけば必ず、やがてこっちの方から戻ってくる、そういうものです。」

わかったようなわからんような、眞木蔵人の発するこの台詞が、食事や排泄や、恋や青春、生も死も含めて、この映画を端的に言い表した言葉(セカイ)なのかもしれない。
ヒナウラ

ヒナウラ