三四郎

Theodor Körner(原題)の三四郎のレビュー・感想・評価

Theodor Körner(原題)(1932年製作の映画)
4.0
1813年から1815年までのナポレオン率いるフランス支配からの独立/解放戦争において、意外と何人かの女性が志願して兵士となっていた事実があるようだ。
彼女らのほとんどすべてが女性と判明した後、兵役から除隊されたようだが、中にはプロイセン軍の女性下士官になった者もいたようだ。ただの架空の物語と思いきや、史実に沿った筋だったことに驚いた…。

女性兵士エレオノーレがテオドールに恋をするが、そんなエレオノーレに婚約者トニーの肖像画のロケットを見せるテオドール。頭部に重傷を負ったテオドールを手厚く介抱してくれたのはエレオノーレだったが、彼はトニーの名前を叫び続ける。テオドールの頭には、愛国心と詩とトニーのことしかないのだろう。しかし、その気持ちは痛いほどわかる。だってトニー役がドロテア・ヴィークだもんね笑 他の映画では彼女の気高さに目を惹かれるが、この映画ではその清純可憐さがなんとも良い。
しかし、テオドールの死を報告された際のトニーの絶叫はなくても良かった気がする。いや、ない方が良かっただろう。不調和な印象を受けた。倒れてもいいが、絶叫して倒れなくてもね笑

テオドール・ケルナーは、ペンと剣により勇ましい高尚なる短い生涯を送ったが、日本で例えると誰かしら。

※キネマ旬報(454)1932-11
「海外通信」によると、ドイツでヒットしたそうだ。


【映画の内容】
19世紀初頭、ナポレオン軍の侵攻を受けたプロイセン。国土の大部分はすでにフランス軍に占領されている。そんな中、フランス軍をプロイセンから追い出す為、若き愛国者たちの間で抵抗運動が起こる。その中に、学生詩人で作家志望のテオドール・ケルナーもいる。彼は、熱烈な愛国心に満ちた文章や自由詩を書いていた。
しかし、テオドールの„Sturm und Drang“(嵐と衝動)という考え方に共感してくれる学生ばかりではない為、彼は、決闘を行うことになる。その結果、逮捕されそうになりドレスデンの実家に帰った。

ケルナー家の友人で外交官のヴィルヘルム・フォン・フンボルトは、テオドールをウィーンへ連れて行く。そこで、新進気鋭の作家テオドールは、ブルグ劇場で自分の作品を上演し、若く美しい女性と出会い恋に落ちる。彼女の名前はトニー・アダムスベルガーで、女優だ。やがて2人は婚約する。
しかし、その幸せも束の間、テオドールはプロイセンに引き戻される。彼は、プロイセンでドイツ義勇軍(Freikorps)という本格的なレジスタンスが結成されていることを知り、この男たちと共に闘うことを決意する。ドイツ義勇軍には、軍服を着た女性兵士エレオノーレ・プロチャスカもいた。エレオノーレは、すぐにテオドールに恋をしてしまう。戦闘中、敵に銃撃されたとき、彼女は勇気を出して体を投げ出す。
その後、ドイツ義勇軍とフランス軍の戦いで、ドイツ義勇軍の戦闘員はほぼ全滅した。キッツェンでの戦闘で、テオドールは頭部に重傷を負ったが、エレオノーレに介抱され、ドレスデンの実家に帰還することができた。しかし、彼は、回復を待たず再び武器を取り戦場へ急ぐ。トニーの愛も、彼の闘志を抑えることはできない。メクレンブルクでは、新しく結成されたドイツ義勇軍に参加することを決意する。
そして彼は、困難な時代の目撃者として詩を書き続ける。彼の最後の作品は„Du Schwert an meiner Linken“(我が左に剣を)。最期は、ガデブッシュ近郊でフランス軍の銃弾に倒れ命を落とす。
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